エーゲ海のある都市の物語:ミュティレネ(1)



ミュティレネ(現代の発音ではミティリーニ)は、エーゲ海に浮かぶ島レスボスの都市で、古代ギリシアの時代にもこの島のすでに主要な都市でした。


紀元2世紀頃のローマ帝国の時代の小説「ダフニスとクロエー」の冒頭にはミュティレネの町の叙述があります。

レスボスの島にあるミュティレーネーは、大きく、しかも美しい町である。海水を引いたいくつもの掘割で仕切られ、みがいた白大理石の橋が美観をそえている。ゆきずりに見た目には、町というよりも島といったおもむきである。・・・・


ダフニスとクロエー (岩波文庫 赤 112-1)

ダフニスとクロエー (岩波文庫 赤 112-1)


これが卑弥呼の時代より前の文章だからビックリしてしまいます。英語版のWikipediaによればミュティレネは初期の頃は本当に、レスボス島の沖合いに浮かぶ小さな島だったそうです。それが後に橋でレスボス島本土に結び付けられ、島と本土の両側に町が拡がっていったそうです。

 東海岸に位置した古代都市ミュティレネは、最初は沖合いの小さな島に限られていたが、のちにレスボス島につながり、そのことによって北と南の港が生まれた。ホメロスの記述によれば、レスボス島は、BC1054年以来、組織化された1つの都市であった。ミュティレネの初期の港は古くから長さ700m幅30mの水路によって結ばれていた。ローマ帝国の作家ロンゴスは2つの側を結ぶ白い石の橋について語っている。ギリシア語のエウリポはふつう海峡を示すのに使われる言葉である。この海峡はトリメネスと呼ばれる3段以上の櫂の列を持つ帆船を可能にした。そこを通過する船は幅が約6mプラス櫂の長さで深さは2mあった。
人口密度の高い市街地は、大理石の橋で2つの土地を結んでいた。市街地は通常、曲線に沿っていた。海峡はアパノ・スカラと呼ばれる古い市場から始まっていた。それはメトロポリス通りの近く、南の港で終っていた。水路は現在エルムー通りと呼ばれるところに沿って伸びていたといわれている。時を経るにつれて、海峡は泥土を集めるようになった。ミュティレネの城の保護のための人間の介在もあった。海峡はついに土で埋められた。


英語版のWikipediaの「ミュティレネ」の項目より

上の引用の中で「ホメロスの記述によれば、レスボス島は、BC1054年以来、組織化された1つの都市であった。」というのが何を指しているのかよく分かりません。ホメロス叙事詩に年代が書いてあるとも思えませんし、ホメロスのレスボス島への言及といえば私の知る限り「イーリアス」に一箇所あるだけで、そこには「マカルの住居というレスボス」としか書かれていないはずです。また「ローマ帝国の作家ロンゴスは2つの側を結ぶ白い石の橋について語っている。」というのは上に引用した「ダフニスとクロエー」の引用箇所の「みがいた白大理石の橋が美観をそえている。」という箇所のことを指していると思うのですが、2つの側(陸地)については書かれていないと思います。疑問の残る記述です。「水路は現在エルムー通りと呼ばれるところに沿って伸びていたといわれている。」というのは地図で場所を確かめることが出来ます。

左の写真で赤線で示したのがエルムー通りです。


これから伝説と歴史の交じり合う時代から古典期までのミュティレネにまつわる話をご紹介出来れば、と思っております。