エーゲ海のある都市の物語:ミュティレネ(5):ヘレスポントスの確保

さて、アルゴ号の出航という幸福な場面でこの物語から離れ、レスボス島やその東岸にあるミュティレネに戻りましょう。


前にもお話ししましたように、伝説によればアルゴ号はレスボス島にはやってきませんでした。レスボス島と名前の似たレムノス島には寄航するのですが・・・・。

私は、この物語がアイオリス人のミュティレネへの植民をもとにした伝説である、と主張したいわけではありません。ミュティレネという町の建設に関する物語は失われてしまったようですが、このアルゴ号のようなことがあったのではないか、と想像してみると、物語の喪失を少しでも埋めることが出来るのではないか、と思ったのです。アイオリス人の一部がイオルコス(あるいは他の港かもしれませんが)からミュティレネに向ったのには、アルゴ号の物語にあるような王位争いが背後にあったかもしれない、とか、あるいは、その時にアルゴスのような卓越した腕を持つ船大工が援助してくれたのかもしれない、とか、神話上の英雄豪傑達ほどではないにしろ、植民の企てに助力する頼もしい若者達がいたのではないか、とか、その仲間たちがかもし出す楽観的な雰囲気とか、彼らもある時は神々の助力を感じて行動したとか、そういうものを想像することで、ミュティレネへの植民という出来事をよりリアルに感じたい、というのが私の気持ちです。



ところでこのアルゴ号がヘレスポントス、現代ではダーダネルス海峡と言っている箇所を通過しているところはミュティレネに関係してきます。
というのは、のちにミュティレネはヘレスポントスの入口近くにあるシゲイオンに植民市を建設し、このことによってヘレスポントスを通る貿易ルートを確保していたからです。その貿易ルートはミュティレネの海軍によって守られていたと考えられています。「ミュティレネ(1)」に書きましたようにミュティレネの町の中に海峡があり、そこの水深が深いために大型船を多く繋留することが出来、それによって強力な海軍を持つことが出来たのです。




(左はヘレスポントスの拡大図)


上の拡大図にはシゲイオンの場所だけでなくトロイアの場所も示しました。縮尺を示していませんが、実は両者の距離は5kmぐらいです。シゲイオンが建設された時にはすでにトロイアは滅びていました。シゲイオンにミュティレネの海軍を駐留させることでミュティレネがヘレスポントスの貿易航路を確保していたことから、トロイアもかつてヘレスポントスの交通を掌握することによって貿易によって繁栄していたと想像することも可能です。そういうふうに考えると「ミュティレネ(2):トロイア戦争の頃」で引用した「イーリアス 24書」のアキレウスの言葉「上(かみ)はマカルの住居というレスボスから、陸(みち)の奥(く)はプリュギエー、涯(はてし)を知らぬヘレースポントスが仕切る限りの国々」というのはトロイアの支配領域を示しているのかもしれません。
 さて、アルゴ号の物語ではアルゴ号がヘレスポントスの各地に上陸したことを述べているのですが、そこにトロイアの名前は登場しません。これはどういうことでしょうか? 私はこの物語が、トロイア戦争後の状況を反映していると考えています。ギリシア神話の枠組みの中ではアルゴ号の物語はトロイア戦争の1世代前ということになっていますが、実際はそうではなくて、トロイア戦争後の状況を反映しているのではないか、というのが私の考えです。私は以下のように考えています。

  • かつてヘレースポントスの交通を掌握することで貿易上の利益を上げて繁栄していたトロイアが存在した。
  • それをギリシア人たちが攻撃した(トロイア戦争)。戦争の原因は分からない(まさか、美女ヘレネが原因ではないでしょう)。トロイアは陥落したがギリシア人たちは略奪するだけでトロイアを恒久的に占領するようなことはせず、帰国した。
  • その後、ギリシアでは広範囲に動乱が起きて文明が低調になり、その後、ギリシア人の一派のアイオリス人たちがレムノス島、レスボス島、へと植民していった。
  • さらにミュティレネがトロイアの故地の近くにシゲイオンを建設することによって、かつてのトロイアに代わってヘレスポントスの交通を掌握することによって繁栄した。

と、このように考えています。