エーゲ海のある都市の物語:ミュティレネ(6):ペンティリダイ(ペンティロスの子孫)

次に述べなければならないのは古代ギリシア史において現在では暗黒時代と呼ばれている資料のない時代です。この時代の出来事を私は何とか述べたいと思うのですが、なかなか手がかりが見つかりません。例えばミュティレネは小アジアとは海を隔てていますので、リュディアの侵攻がなかったということは推測出来ます。暗黒時代よりのちの話ですがヘロドトス歴史には、リュディア王クロイソスがエーゲ海の島々を征服しようとするのを、ミュティレネの政治家ピッタコスが以下のように言って止めさせる話が載っています。

アジアのギリシア人が征服されて朝貢するようになると、今度は船を建造して島に触手を伸ばそうと考えた。造船の準備万端が整った頃のことである。一説によればプリエネのビアス、別の節ではミュティレネの人ピッタコスがサルディス*1に来て、ギリシアで何かニュースはないかと訊ねたクロイソスに、次のような話をして彼の造船計画を止めさせたという。
「王よ、島の住民どもは、あなたを目指しサルディスに攻め込もうと、莫大な数の馬を買い集めておりますぞ。」
 クロイソスは相手の話を真実だと思ってこういった。
「神様が島の住民どもに、リュディアを馬で攻めようという気を起させて下さるならば、まことに有難いことじゃ。」
 すると相手が答えていうに、
「王よ、あなたは島の者どもが騎馬で侵攻して参ったならば、陸上で捕捉してやろうと意気込んでおいでのようにお見受けしました。まことにごもっともなこと。しかしながら、もしあなたが島を征伐ささるため船の建造を計画なさっておることを、島の者たちが知ったならば、誓ってリュディア軍を海上に捕捉し、あなたによって隷属させられております、大陸在住のギリシア人たちの報復を遂げよう、と念願するとはお考えになりませぬか。」
 クロイソスはこの結論が大層気に入り、彼のいうのがもっともであると考えたので、その言を容れて船の建造を中止し、島に住むイオニア人たちと友好同盟を結んだのであった。


ヘロドトス「歴史」巻1・27 より

歴史 上 (岩波文庫 青 405-1)

歴史 上 (岩波文庫 青 405-1)

リュディア最後の王ですらエーゲ海には手をつけなかったのですから、それ以前のリュディア王も手をつけませんでした。さて、上の引用に登場したミュティレネの政治家ピッタコスについてはあとで紹介したいと思います。
また、ミレトスの歴史を述べた時に紹介したような、キンメリア人やスキュタイ人が海を越えてミュティレネに来たということもありませんでした。ひょっとすると海を隔てた北のトラキア人はやってきたかもしれませんが、あいにく、この頃の記録や伝説はありません。また、あるいは、ミレトスのところで紹介したレラントス戦争にミュティレネが参加していたかもしれませんが、それを示唆する記事を見つけることが出来ませんでした。
歴史が言及出来る最も早い頃のこととして、その頃(BC 7世紀)ミュティレネはペンティリダイ(ペンティロスの子孫)という家柄から出た王によって支配されていた、という記事があります。以下は英語版のWikipediaのアルカイオス(ミュティレネの詩人)の項目からの引用です。

The city had long been ruled by kings born to the Penthilid clan but, during the poet's life, the Penthilids were a spent force and rival aristocrats and their factions contended with each other for supreme power.
この都市*2はペンティリダイ一族に生まれた王たちによって長い間支配されてきたが、詩人*3の生きていた頃は、ペンティリダイは過去の権力であり、ライバルの貴族たちと彼らの派閥は最高権力のために互いに争っていた。


英語版Wikipediaの「アルカイオス」の項目より

このペンティリダイについては呉茂一氏の「ギリシア神話(上)」に言及がありました。

その後、オレステースはミュケーナイに還って王位に即き、叔父メネラーオスの娘ヘルミオネー(あるいはアイギストスの女エーリゴネー)を娶って一子ティーサメノスを儲けた。(中略)エーリゴネーからもオレステースに一子ペンティロスが生れ、彼からしてレズボス島ミュティレーネー市の貴族の家柄ペンティリダイは血統をひいている。もっとも実際に移住したのは、一般に二代後とされていた(パウサニアース・三・三・一)


呉茂一「ギリシア神話(上)」より

ギリシア神話(上) (新潮文庫)

ギリシア神話(上) (新潮文庫)


(右の絵は、ウィリアム・アドルフ・ブグローの「オレステースの後悔」)


このオレステースというのはトロイア戦争ギリシア側の総大将でミュケーナイ王のアガメムノーンの一人息子です。アガメムノーンがトロイアを亡ぼしてミュケーナイに帰国した時に、その妻クリュータイメーストラーはアガメムノーンを謀殺してしまいます。それはかつてトロイア戦争の成就のために娘イーピゲネイアを生贄に捧げたことを恨んでのことでした。そして同じくアガメムノーンに恨みを持つアイギストス(彼はアガメムノーンの従兄弟にあたります)を味方につけて、彼をミュケーナイの王位につけます。アガメムノーンの息子オレステースはその時まだ子供で、別の町ポーキスに送られていました。オレステースは成人したあと、神アポローンの促しもあって父の仇として自分の母親クリュータイメーストラーを、アイギストスともども殺します。ところがこれが母親殺しという古くから伝わる恐ろしい罪を構成する、ということになって、オレステースは復讐の女神たちに常に追跡されることになり、狂気にさいなまれながら諸国をさ迷うようになります。オレステースは最終的には女神アテーナの主催する法廷で裁かれて無罪を勝ち取り、一方、復讐の女神たちはアテーナの説得によってアテーナイの地に慈しみの女神たちとその性格を変えて鎮まることになります。


上の引用での「その後」というのは以上の出来事のあと、ということです。仇であったアイギストスの娘エーリゴネーを妻に迎えるというのはどういう事情だったのかよく分かりません。オレステースの正妻がヘルミオネーであることは伝説の上では確かなので、エーリゴネーは側室といったところでしょうか。オレステースとエーリゴネーからペンティロスが生まれ、その孫の世代にミュケーナイを離れてエーゲ海を渡り、ミュティレネに着いて、そこの貴族の(あるいは王家の、と言うべきでしょうか)家系の祖となったということです。なぜ、ペンティロスの孫がミュケーナイを離れたかと言えば、ヘーラクレースの子孫を名乗る集団がこの頃大挙してやってきてペロポネーソスを征服したからです。史家トゥーキュディデースはその著作でヘーラクレースの子孫のペロポネーソスへの侵入について述べています。

トロイア戦争後にいたっても、まだギリシアでは国を離れるもの、国を建てる者がつづいたために、平和のうちに国力を充実させることができなかった。その訳は、トロイアからのギリシア勢の帰還がおくれたことによって、広範囲な社会的変動が生じ、ほとんど全てのポリスでは内乱が起り、またその内乱によって国を追われた者たちがあらたに国を建てる、という事態がくりかえされたためである。また、現在のボイオーティア人の祖先たちは、もとはアルネーに住居していたが、トロイア陥落後60年目に、テッサリア人に圧迫されて故地をあとに、今のボイオーティア、古くはカドメイアといわれた地方に住みついた。また80年後には、ドーリス人がヘーラクレースの後裔らとともに、ペロポネーソス半島を占領した。こうして長年ののち、ようやくギリシアは永続性のある平和をとりもどした。


トゥーキュディデース「戦史 巻1 12」より

戦史〈上〉 (岩波文庫)

戦史〈上〉 (岩波文庫)

それにしても、ペンティロスの子孫たちがどうしてミュティレネの王位を獲得出来たのかよく分かりません。

*1:リュディアの首都

*2:ミュティレネ

*3:アルカイオス