エーゲ海のある都市の物語:デロス島(3):ヒュペルボレオイ(極北人)

アポロンは誕生するとすぐにヒュペルボレオイの国に赴きました。ヒュペルボレオイというのは「北風(ボレアス)の彼方の住民」という意味です。ギリシア語のヒュペルはアルファベットで書けばhyperで、英語で言うところのハイパーです。「超」とでも訳したらよいでしょうか。



アポロン


それはともかくヒュペルボレオイは北の果てに住む住民で、彼らの国はいつも太陽が照っていて夜がない、と言われています。そうするとこれは北極に近い地方の白夜を伝説化したものかと思えるのですが、一方、神話ではこの国は温暖な国ということになっているので、この点では極地を伝説化したものとも思えません。呉茂一氏の「ギリシア神話

ギリシア神話(上) (新潮文庫)

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では、この国のことを以下のように説明しています。

その国は、四時光明に輝く白昼であって気候温和に、正義を愛し平和を守り、つねにアポローン神を讃える頌歌の声にみなぎり、御神の慈(めぐ)みのもとに奉仕を怠らぬ国民である・・・・

そこには大河エーリダノス(神話的な川)が極洋に流れ込み、その河砂にはあの、きらきらと黄金の燦(きら)めきを秘める琥珀が数限りもなく埋もれている。


それにしても、ヒュペルボレオイは、アポロンが誕生する以前からアポロン崇拝の国だったのでしょうか? これは神話によくある矛盾だと考えてあまり拘泥しないほうがよいのかもしれません。私には常に昼の国ということで、ここでは時間が流れていないのではないか、要するに彼岸を象徴する国ではないのか、と思えてきます。


ヘロドトスによれば、その後アポロンはアルゲとオピスという2人のヒュペルボレオイの若い女性をデロスに連れてきたということです。

デロス人のいうところでは、(中略)アルゲとオピスなる極北人(ヒュペルボレオイ)の娘が、(中略)デロスへきたという。(中略)アルゲとオピスとは、神々(アポロンとアルテミス)に同行して来島したといわれ、(中略)デロスの女たちは、リュキアの人オレンがこの二人のために特に作詩した讃歌をうたってその名を唱えつつ、二人のために喜捨を集めるのであるが、ほかの島々の住民やイオニア人も、オピスとアルゲの名を唱えて讃歌をうたい寄進を集めるのは、デロス人の風習を学んだものという――なおこのオレンはリュキアから来た人で、デロスでうたわれている他の古い讃歌の作者でもあった。そして祭壇の上で犠牲獣の腿の肉を焼き、その灰をことごとく墓の上に撒きちらすという。この二人の墓所はアルテミスの社の背後に東面してあり、ケオス人の接待所のすぐ近くにある。


ヘロドトス著「歴史」巻4、35 から

歴史(中) (岩波文庫 青 405-2)

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アルゲとオピスがデロスについてから何をしたのか情報があればよいのですが、残念ながらヘロドトスは記していません。


その後、別のヒュペルボレオイの娘2名がデロス島にやってきました。その目的はアポロンの誕生を助けたエイレイティア(出産の女神)にヒュペルボレオイの代表として供物を捧げるためでした。

娘の名はヒュペロケとラオディケであったとデロス人は伝えている。極北人は道中安全のため国許から五人の男を娘につけて送らせたが、この五人が今でもペルペレエスの名で呼ばれて、デロスで高い名誉の地位を占めている者たちであるという。


ヘロドトス著「歴史」巻4、33 から

しかし、2人の娘はデロス島で死んでしまったようです。その理由をヘロドトスは書いていませんが

極北人の国からデロスに来島しこの地で死んだ例の娘たちの霊を慰めるために、デロスの少女も少年も自分の髪を切って供えるのである。


ヘロドトス著「歴史」巻4、34 から

と書いているのでデロス島で死んだのでしょう。それにしても彼女たちを護衛していた5人の男たちは何をしていたのでしょう、と思います。


こんなことがあってののちヒュペルボレオイたちは人をデロス島に派遣するのを止め、お供えの物(供物)だけを送るようにしたということです。

さて極北人たちは使いに出した者たちが帰国してこないので、これからも派遣した者たちがいつも帰ってこぬようなことがあってはたまらぬと考え、それからは麦藁包みの供物を国境まで持ってゆき、隣国人にそれを次の民族に転送してくれと固くいい渡すことにした。このようにして供物は次から次へ転送されてデロス島に着いたというのである。


ヘロドトス著「歴史」巻4、33 から

この麦藁包みの供物が転送される道筋ですが、ヘロドトスの記述を元に地図で示すと以下のようになります。

本当にこんなことがあったとは思えませんが、デロス島の人々はこれが事実だと主張していたそうです。