エーゲ海のある都市の物語:テラ(3):エウロペを探すカドモス

フェニキアの王アゲノルにはポイニクス、キリクス、カドモスという3人の息子と、エウロペという娘がいました。このエウロぺが美しい少女へと成長した時に、神々の王ゼウスがオリュンポス山の頂にある神々の宮殿から地上を眺め渡し、彼女に目を止めたのでした。
ゼウスというのはちょくちょく人間の女に手を出す困った性格なのでした。しかもたちが悪いことに、当事者がこの宇宙の最高権力者なので、一旦、ゼウスが行動を起こすと誰も止めることが出来ません。せいぜいお妃のヘラが小言を言ったり、陰で嫌がらせをしたりするぐらいです。この時もゼウスは、お妃ヘラの眼を忍んで、エウロペに警戒されないためにおとなしい牡牛に姿を変えて、フェニキアへ赴いたのでした。

 エウローペー エウローペーは成長して美しい乙女となったが、ゼウスが彼女に恋し、侍女たちと浜辺で遊んでいる彼女に白牛の姿となって近づいた。恐れている王女に優しくじゃれつき、彼女が安心してその背中に乗ると、海を泳ぎ渡ってクレータ島に上陸し、ゴルテュンの泉の側で交わって、ミーノースとラダマンテュスが生まれた。


高津春繁著「ギリシア神話」より

ギリシア神話 (岩波新書 青版)

ギリシア神話 (岩波新書 青版)

最高権力者による拉致事件です。これは、どうにもなりません。さて娘の失踪を知った父親アゲノルはと言いますと、


 エウローペーの失踪後、国王アゲーノールは大いに怒りかつ心配して、三人の息子に命じて妹の行方を捜索させた。世界の隅々までいって、くまなく探して来い、見つからぬうちは、帰国を許すまいぞ、といった頑固さである。しかし大神ゼウスの秘したもうたものが、人間に見つけられるはずはないので、三人とも父を畏れてついに帰国せず、それぞれ赴いた土地に国を建てて住まった。ポイニクスはポイニキア人の、キリクスはキリキア人の祖というわけである。


呉茂一著「ギリシア神話(下)」より

ギリシア神話 下 (新潮文庫 く 6-2)

ギリシア神話 下 (新潮文庫 く 6-2)

 カドモス エウローペーの行方がわからなくなった時に、アゲーノールはカドモスとその兄弟たちに、姉妹を見付けるまでは帰国してはならないときびしく言い付けて、捜索に出した。彼らは母親をつれて国を出たが、エウローペーを見付けることが出来す、帰国もかなわぬままに、ポイニクスはフェニキアに、キリクスはキリキアに、カドモスは母と一緒にトラーキアに住まった。


高津春繁著「ギリシア神話」より

ギリシア神話 (岩波新書 青版)

ギリシア神話 (岩波新書 青版)

しかし母親まで、つまりアゲノルのお妃までエウロペの捜索に出させたというのはどういうことなのでしょうか? アゲノルが息子たちに見せた剣幕に反発して、「じゃあ、私も息子たちと一緒に行きますから」と言って出てきたのでしょうか? 妻と息子に出て行かれたアゲノルのその後が気になります。しかし、それについての物語は伝わっていません。
ところでカドモスとその母親はボスポラス海峡を渡ってヨーロッパ川のトラキアに赴きました。母親がカドモスと一緒に行動したのは、きっとカドモスが末っ子で、母親としては一番気になったからでしょう。


さて、「(2):テラスの植民」で引用した以下の箇所は、たぶんここに位置付けられるのでしょう。

現在テラと呼ばれている島は、以前はカリステと呼ばれていたがこれは同じ島で、当時はフェニキア人ポイキレスの子メンブリアロスの子孫が居住していた。すなわちアゲノルの子カドモスはエウロペの所在を探し求めながら、現在のテラに上陸したが、上陸後この地が気に入ったのか、あるいは他の理由があってそうしたのか、この島にフェニキア人を残していった。その中には自分の同族の一人メンブリアロスもいたのである。


ヘロドトス著「歴史」巻4、147 から

歴史(中) (岩波文庫 青 405-2)

歴史(中) (岩波文庫 青 405-2)

カドモスがおそらくトラキアに行く前に、エウロペを求めてエーゲ海の島々を捜索したのだと思います。その時に彼はテラ島に、当時はこの名前ではなくカリステという名前でしたが、そこに来たとヘロドトスは書いています。正確にいうとヘロドトスはそれをテラ人から聞いたと書いています。テラ島の少し南(100km強)にはクレタ島があります。そこにエウロペはいた(拉致されていた)のですから、カドモスは惜しいところまで来ていたのでした。彼は、ここに自分の部下の一部を留め、自分は別の場所を探しに出発します。カドモスがテラ島まで来て、クレタ島に行かなかったことは、やはりゼウスの神力によるものなのでしょうか? その後のカドモスはと言いますと

やがて母が世を去ってから、カドモスはデルポイに来て神託を求めたところ、神は、牝牛を案内とし、牝牛が疲れて倒れ伏した所に町を建設せよ、と命じた。ある牛の群の中で月の印のある牝牛を見付け、そのあとをつけて行くと、ボイオーティアを通って、後のテーバイの市のあった所で横になった。


高津春繁著「ギリシア神話」より

カドモスは最終的には、エウロペ探索をあきらめて、テーバイ市を建設したのでした。このテーバイ市の建設にもいろいろ物語はあるのですが、テラ島の話から遠ざかるので、ここでは述べません。テラに関係する話としてはカドモスの子孫にテラスがいたということです。そして彼は当時スパルタに住み、妹アルゲイアがスパルタ王アリストデモスの妃になっていた関係で、重要な人物として重んぜられていたのでした。


ところでエウロペという名前はギリシア語でヨーロッパのことを意味します。キリクスが赴いたところがキリキアと名付けられ、ポイニクスが赴いたところがフェニキアと名付けられ、(上では引用していませんが)カドモスが建設したテーバイ市付近がカドメイアと名付けられたのであれば、エウロペが赴いたクレタ島が本来のエウロパ(=ヨーロッパ)だったのではないでしょうか? そしてそれが後世、今の意味でのヨーロッパにまで拡張されていったのではないでしょうか? だとすると「ヨーロッパ」という言葉に対になっている「アジア」という言葉はどのような伝説を背負っていたのでしょうか? それについて私はまだ回答を得ていません。このエウロペの伝説はなかなか気になっています。