ローマ五賢帝

塩野七生さんの大著「ローマ人の物語」もあることなので今さら新書で五賢帝の話を読まなくても、とは思ったのですが、思いのほか面白かったです。

ローマ五賢帝 (講談社現代新書)

ローマ五賢帝 (講談社現代新書)

その一番大きな理由は、歴史上の登場人物の家系や派閥を丁寧に追って、歴史的出来事の背後にある人事的な配慮に迫っていることだと思います。これをプロソポグラフィー的研究というのだそうです。この本によればプロソポグラフィー的研究とは

このプロソポグラフィーを用いた研究法とは、生没年や出身地、家族構成や親族関係、職業や経歴、学歴、宗教などの個人情報を集め、伝記的資料の集成に基づいて、その時代の政治や社会のあり方を考察しようとするものである。
(「ローマ五賢帝」南川高志著から)

この研究に基づいた仮説としてこの本が提示したことで私が興味を引いたのは、ハドリアヌスが自分の後継者にルキウス・ケイオニウス・コンモドゥスを選んだ、という事件の意味についてです。マルグリッド・ユルスナールハドリアヌス帝の回想では、彼がハドリアヌスの昔の愛人であり、要するにそのひいき目によるものとしているのに対し、この本ではルキウスの家系が、ハドリアヌス即位の際に(真実は不明瞭ながらハドリアヌスの命令により、とされている)殺されたハドリアヌスの親友アウィディウスにつながることに注目し、その背後にある政治勢力(イタリア系元老院議員勢力。そしてそれはハドリアヌスの出身母体であるスペイン系と対立していたが、ハドリアヌスは帝国全体の皇帝として自分の出身母体からの脱却と、イタリア系とスペイン系の融和を目指していた)への配慮、としていることです。この本では、ハドリアヌスはより政治的な配慮の元に行動しているように描かれており、その点はハドリアヌス帝の回想にはあまり現れていない姿を明らかにしているように思います。
本の内容からは少しはずれますがハドリアヌスについては紹介したいことがいくつもあります。その中から、1つをここに書きます。まずこの本からの引用です。

 ところで、これまでの話に登場してきた五賢帝第3番目のハドリアヌス、この才知に富んだ賢帝は、実は驚くべきことに、古代においてはたいへん評判が悪かった。在位中から周囲の人々に非常に恐れられ憎まれていた。
 人々の憎しみは、彼の死とともに表面化した。紀元138年にハドリアヌスが死亡し、後継者のアントニヌス帝が先例にならって彼を国家神の列に加えるため神格化しようとした時、これを審議する元老院の会議で強い反対が出た。もし、神格化されなければ、かの有名なネロ帝や先にふれたドミティアヌス帝と同様にハドリアヌスは「暴君」のレッテルを貼られてしまうことになる。彼は「国家の敵」とされ「記憶の抹消」がなされて、統治に関する行為はすべて無効とされてしまうのである。
 それでアントニヌスは涙を流しながら次のように演説したと、ローマ時代の歴史家ディオは伝えている。

  • わかりました。では、もし彼が下劣で諸君に敵対する者で、「国家の敵」とされるのであれば、わたくしは元首(皇帝)の位に就くのをやめることにしよう。なぜなら、諸君が彼を「国家の敵」とすることで彼の行為すべてが無効となるのであり、その無効となる行為の中に、わたくしの養子縁組も含まれているのであるから。

 この演説を聞いた人々は、新皇帝アントニヌスに対する敬意と皇帝を支持する兵士たちに対する恐怖から、ハドリアヌスを神格化することに渋々同意した、とディオは記している。

もう一つはマルグリッド・ユルスナールハドリアヌス帝の回想の末尾からの引用(おそらくユルスナールが古代の碑文を引用したもの)

パルティアの征服者トラヤヌスの子
ネルウァの孫
大祭司
第二十二回目に
護民官の権能を得
三度、執政官たり
二度、凱旋礼を受けたる
国父
神にして尊厳なるハドリアヌス

また彼の神なる后
サビーナに
     彼らの子なるアントニヌス
     これを捧ぐ

また神なるハドリアヌスの子
二度執政官たる
ルキウス・アエリウス・カエサル

生きた人々はこのようにして歴史になっていくという感慨を得ました。