孫子を読む 浅野裕一

「孫子」を読む (講談社現代新書)

「孫子」を読む (講談社現代新書)

この本を買った動機はたぶん、ビジネスの心構えのようなものを求めてのことだっただろうと思います。私はビジネス書のたぐいを読むのが苦手です。それで自分としては何とか許容できる種類の本としてこれを取り上げたのだと思います。しかし、孫子には

兵とは詭道なり(軍事とはだます技術である)

と冒頭近くに書かれていて、もうそれで、孫子を仕事に応用しようという気を失わせます。別に著者は、ビジネス書として読んでくれとは言っていないので、私の勝手な言い分なのですが。著者は

我々日本人が中国人の手になる「孫子」を読み、そこから知恵を学びとるのは、実際にはきわめて難しいといわなければならない。もし本当にそれをしようと願うのであれば、我々が日本人であることをやめるくらいの覚悟がいるように思える。

と言っています。孫子とはそれほど思い切った覚悟を要求する思想だと思います。
ところで孫子と双璧をなす軍事哲学書であるクラウゼウィッツの戦争論を私はまだ読んでいません。
孫子は「兵とは詭道なり」と言いながら、その内容を見ていくと徹底的な開戦慎重論のように思えます。そして私にとって納得できるいくつかの名文があります。例えば、

故に上兵は、謀を伐(う)つ。その次は交を伐(う)つ。その次は兵を伐(う)つ。その下は城を攻む。

は実戦は最後の手段ということを言っているように思えます。まずは謀略、次善は敵の支持勢力の離間、それより劣るのは会戦、一番の愚策は城を攻めること、だそうです。
また普通日本語では「拙速」は悪い意味で用いますが、

故に兵は拙速を聞くも、功久を睹(み)ざるなり。

とあり、軍事に関しては拙速を良しとしています。また、次の言葉は心にとめておく必要があると思いました。

夫れ戦いて勝ち攻めて得るも、その功を隋(お)わざる者は凶なり。之れを命(なづ)けて費留と曰う。

戦いに勝利したらそれを活用する。せっかくの犠牲を無駄にしてはならない、ということです。それから、最後にはこのような言葉があります。

怒りは復(ま)た喜ぶべく、慍(いきどお)りは復(ま)た悦ぶべきも、亡国は復(ま)た存すべからず、死者は以って復(ま)た生くべからず。

怒りに任せて開戦してはならない。怒りはいずれおさまる時が来るであろうが、怒りに任せて戦争を起こし、その結果、国を亡ぼせば、それは取り返しがつかない。死んだ人は生き返らない。ということです。これもいい言葉だと思いました。
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