古墳とヤマト政権
古代国家はいかに形成されたか 古墳とヤマト政権 (文春新書 (036))
- 作者: 白石太一郎
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1999/04/20
- メディア: 新書
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この本ではなるべく古事記・日本書紀の神話伝説的な記述と古墳を結びつけるのを避けているように見えますが、そして、そこがこの本の手堅いところですが、学者ではない私としては、両者を結びつけてあれこれ考えてみたい思いがあります。
この本によれば、畿内の古墳の中心地は、まず三輪山の西側(ここが本来の「ヤマト」)から発生し、それが一旦、奈良市の西の佐紀(さき)に移り、それから古市と百舌鳥(いわゆる河内王朝の時代)に並存して現れるということです。これは古墳の年代論から推定されることだそうです。
そうすると最初の三輪山の時代を、私は(私でなくても)古事記や日本書紀の祟神天皇や箸墓に眠るとされるヤマトトトヒモモソヒメに結び付けたくなります。古市古墳群と百舌鳥古墳群は、応神天皇や仁徳天皇に結びつけたくなります。そうすると佐紀古墳群は何に結びつくのでしょうか? 私はこれに対する解答を持ち合わせていません。そもそも問題の立て方が間違っているのかもしれません。つまり、このように安易に7世紀成立の神話を3世紀4世紀の事物に結び付けてはいけないのかもしれません。しかし、私は佐紀古墳群の時代に非常に興味があります。それは、日本書紀の神功皇后の条にある百済との同盟の記事が、百済の古い記録を基にしているのであれば、この頃が、倭と百済の同盟が成立した時期だからです。その後、倭は百済に協力して高句麗と戦い、大敗し、その後、河内王朝が成立する・・・私の頭の中ではこのようなストーリーになっています。