言葉による創造

メンフィスの神学

エジプトのナイル川によるデルタ地帯。この扇型に開いた地形の扇の要にあたるところにあるのがメンフィスの町です。ここはヘロドトスによればエジプト最初の王メネスが都に定めたところで、「古代エジプト」によればそのような王名は確認されないものの、エジプト初期の首都が置かれたのは確かだということです。
この都の主神はプタハといい、ヘルメットを被ったミイラの姿で表わされて来ました。この神の神学を伝える文書が今も残っています。それによれば、プタハは言葉による世界創造を行ったということです。古代エジプトでは主だった神は皆、世界創造神ということになっていますのでプタハが原初の創造神であったとしても驚くべきことではありません。(異なる様々な神が皆それぞれ、最初に存在し、かつ、世界を創造した神、となってしまい、深刻な矛盾をきたしそうですが、古代エジプトではそのことに無頓着でした。すべてのものを並存させる不思議な柔軟性が古代エジプトの神界にはありました。たぶんエジプト各地の神殿は今でいう企業に近いものだったのでしょう。だから、自分のところの商品である神こそ、一番効き目のある神と宣伝するわけです。)
プタハの神話は極めて簡単です。今週はあいにく私は出張中でして、私の本棚にアクセス出来ません。そのため、この原典を引用することは出来ませんが「プタハが思い、口にしたことは全てそのまま現実になった」という点がこの創造神話の要点です。
ここに、記されたものとしてはおそらく世界最古の、世界創造に言葉を結びつける思想が現れています。これは遠く3000年を隔てて、ヨハネ福音書の「はじめに言葉があった。言葉は神であった」につながるものでしょう。そして、それは言葉としての2進法(ここにはライプニッツの関与があります。また、数学的ではありませんがフランシス・ベーコンも、AとBだけで全てのアルファベットを表わす方法について論文を書いていたと記憶しています。)を経て、現代のコンピュータにまでつながる思想です。要するに「言葉が世界を作る」ということです。これは、プログラムを作って動かした人には直感されることではないでしょうか?
これに関連して思い出されるのは、ITの源流の一つであるサイバネティクスの提唱者ノーバート・ウィーナーの父親が言語学者であり、ウィーナー自身7ヶ国語をマスターした言語マニアだったことです。

ラーの本名

今日のお話にはもう一つの話題があります。それはイシス女神が太陽神ラーの力を手に入れようと策略を練ったという神話です。
イシス女神は創造神であり神々の王であるラー(これは古代エジプト語で普通名詞の「太陽」でもあります)の力を手に入れたいと思いました。そしてラーの力を手に入れるためにはラーの本当の名前を知る必要があると悟りました。実はラーというのは通称、あだ名、であり本当の名前は隠されている、というのがこの話の前提になっています。
ここには、おそらく第11王朝からさかんになったテーベの神官たちの神学が背後にあると思われます。テーベの主神はアメンであり、アメンとは「隠されたもの」という意味です。この神は第11、12王朝の勃興とともに国家神に昇進しラーと同一視され「アメン・ラー」と呼ばれました。古代エジプトでは神々の同一視というのは頻繁に起こります。そのため、ある人々は、古代エジプト人は実は一神教徒ではないかという説を立てているぐらいです。つまり唯一の神をさまざまな名で呼んでいるのではないか、ということです。
それはともかく、アメンは「隠されたもの」でその本当の名前は「アメン」ではない、とされてきました。あるアメン讃歌には、その本当の名前を聞くと世界がゆらぐくらいその名前は強力である、と言っています。
さて、イシス女神はラーの本名を知るために、ラーの通り道、つまり、太陽が運行する道に毒蛇を作ってひそませました。朝、ラーが東の空から天空へと向かう道すがら、この蛇はラーの足を咬みました。ラーは大声を上げて泣き叫びます。お供の神々は何事が起こったのかと駆け寄ります。ラーはしろどもどろながらに毒蛇が自分を咬んで、猛毒が自分の身体にまわりつつあることを告げます。しかしお供の神々にはラーを助けることが出来ません。
そこにイシス女神がやってきます。彼女は「大神ラーよ、御身の本名を我に告げよ。さすれば、我、御身から毒を抜き取ることを得べし」と言います。(やな女ですね。) ラーは自分が創造神であり、世界を創造したさまを述べます。そして最後に自分の名は「朝にはケプリ、昼にはラー、夕方にはアトゥム」であると述べます。しかしイシスは追及の手を止めません。「そは、御身の本名にはあらず。御身の本名を得ずば我、御身を助くるあたわず。」と言います。観念したラーは、しぶしぶイシスに自分の本名を告げることに同意します。たちまち、この二柱の神はそこから姿を消します。どこか異次元でイシスはラーの本名を聞いたのでした。ラーのお供の神々はその名を知ることは出来ませんでした。ラーの本名を聞いたイシス女神は呪文を唱え、ラー神から毒を取り除き、ラーを助けたのでした。そして自分が得たラー神の力を自分の息子ホルスに伝えたのでした。(しかし、エジプト神話のややこしいところは、このホルスがまた太陽神であるところです。同一性の概念の無制限な拡張が現代の私たちの理解を苦しめます。)
この話に現れている思想は、ある人の本名を知ることで、その人を支配出来る、という思想です。ここには(隠された)本名とは何か、という問題もあります。ヘブライの秘教カバラーのなかには神(もちろん旧約聖書の神エホバ)の本当の名前は、ヘブライ語で書かれた旧約聖書の最初から最後までの文字の並びである、という思想もあります。ヘブライの神について書かれていることがそれに尽きているのであれば、その全体が本当の神の名前である、というのも理にかなった考えだと思います。
これに関連して、名前とは、それによってその指し示すものの性質が全て演繹されるものでなければならない、という考えもあり得ます。つまり、我々の通常の名前は本当の名前ではない、というものです。
あるいは、イシス女神は、ラー神のIDとパスワードを聞き出したのかも知れません。