歴史(下) ヘロドトス
- 作者: ヘロドトス,松平千秋
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1972/02/16
- メディア: 文庫
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- 巻7:ギリシア遠征準備、出発、テルモピュライでのスパルタ軍300名の奮戦のすえの壊滅(今、映画「300」で話題になっているようです)。
- 巻8:アルテミシオンの海戦、アテナイ沖の海域サラミスでのギリシア連合軍(主導権はアテナイのテミストクレスが持った)の奇跡的な快勝。クセルクセスの退却。
- 巻9:ギリシア軍の反攻。
テルモピュライの陸戦は、シモニデスの碑文
- 「旅人よ、ラケダイモンに行きて告げよ。我ら掟のままにここに死せり、と。」(訳のしかたはいろいろあるでしょうが、私はこの訳に最初に出会いました。)
で有名です。この本にもこの碑文は登場します。ヘロドトスもこの300名の玉砕に感銘を受けていたようで
すでにこの頃には大方のギリシア兵の槍は折れ、彼らは白刃を揮ってペルシア兵を薙ぎ倒していた。そしてレオニダス(注:スパルタ王)はこの激戦のさ中に、疑いもなく見事な働きを示して倒れ、他の名だたるスパルタ人も彼とその運命を共にした。私はこれら勇名を馳せた人々の名前を聞き及んでいるが、全軍三百人の名前も私は聞き知っている。
と叙述しています。
しかし、私にはサラミスの海戦のほうが記憶に残っています。それは、この「歴史」以外にも、アイスキュロスの悲劇「ペルシアの人々」、プルタルコスの「対比列伝」の「アリステイデス篇」「テミストクレス篇」に取り上げられていることで、記憶に残っているのでしょう。テルモピュライでのペルシア陸軍を阻止することが出来ず、アルテミシオンでもペルシア海軍を阻止することが出来なかったために、アテナイ市民はアテナイ市から避難し、その沖のサラミス島にギリシア連合軍は待機して、ペルシア軍を待っていたのでした。特にサラミスに待機したアテナイ市民はそのために、ペルシア軍がアテナイ市を蹂躙していくのを間近に見ながら耐えなければなりませんでした。
今、読み返してみると海戦そのものについてはヘロドトスは「劇的に」記してはいません。いつものように「逸話の連続のように」記しています。そこでヘロドトスの「歴史」からではなくアイスキュロスの悲劇「ペルシアの人々」からの引用でサラミスの海戦の光景を紹介したいと思います。以下のセリフはペルシア側の使者のセリフです。
やがて白馬にまたがる朝の日が、光さやかに大地をあまねく照らしたとき、はじめてギリシアの陣営から声たからかな喜びの歌がわきあがり、島の岩肌がひときわ高いこだまを返した。うらをかかれた恐怖が、われら(注:ペルシャ側)の胸をつきさした、なぜなら、そのときかれらがうたったパイアン(戦勝祈願の祈り)は、戦いにのぞむ勇気がりんりんとして、逃げ腰ではなかったからです。(中略)まず右翼の陣が一糸みだれず整然と船あしをすすめ、ついで全船団がすすむとみえるや、いっせいに叫ぶ喚声が耳をうった。
「おおヘラスの子らよ(注:ギリシア人のこと)、すすめ!
祖国に自由を!
子や妻に自由を!
古い神々の御社や父らの墓地に自由を!
すべてはこの一戦できまるのだ。」
(「ギリシア悲劇全集Ⅰ」人文書院、の中の「ペルシアの人々」久保正彰訳 より)