伊勢神宮の謎 高野澄
今日は13日の金曜日だから、13日の金曜日に関係のない神道で、というわけでもありませんが、今日はこの本です。
伊勢神宮の謎―なぜ日本文化の故郷(ふるさと)なのか (ノン・ポシェット―日本史の旅)
- 作者: 高野澄
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 1992/10/01
- メディア: 文庫
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しかし、ところどころに著者の「特異な」問題意識が垣間見えるような気がします。まず、冒頭が奇妙です。伊勢神宮のことを紹介する最初の話題に明治時代の初代文部大臣・森有礼(もりありのり)の暗殺事件を持ってきています。しかも、その原因のひとつに伊勢神宮側の悪意(政府の文明開化路線に対する反感)が存在していることを指摘しています。おそらくその悪宣伝に載せられて西野文太郎という青年が明治22年2月11日に、森有礼を出刃包丁で暗殺したのでした。彼はそのまま護衛に殺されてしまいます。しかし不気味なのは、当時の民衆は、森有礼よりも西野文太郎のほうに同情したということです。
群馬県の沼田というところで少年時代を過ごしていた生方敏郎という人は、森暗殺事件から数ヶ月後に門付け芸人がやってきて西野文太郎賛美のクドキ(口説き節)をうたっていたのをおぼえている。
「誠に憐れな節廻しで、今もなお私の耳底に留まっているように思われる。母は、
『森有礼はステッキで伊勢の大神さまの帳を上げて中をのぞいたそうだ。それで西野文太郎が殺す気になったのだとさ。いくらヤソ宗(キリスト教)だからって、よくまあ、そんな勿体ねえ真似が出来たものだ』
と語った。・・・・」(生方敏郎『明治大正見聞史』)
森有礼について上で言われていることは、実際にはまったくのでっちあげだったそうです。どこかの国の原理主義者を支持する民衆みたいで、おそろしい話です。何でこんな話を通俗的な解説書である本書の冒頭に持ってくるのか、ちょっと不思議です。