物語 イタリアの歴史Ⅱ

この本の目次を示しますと、以下のようになっています。

第一話 皇帝ハドリアヌスの物語
第二話 大教皇グレゴリウスの物語
第三話 マローツィア婦人とその息子たちの物語
第四話 異端者アルナルドの物語
第五話 教皇ボニファティウス八世の物語
第六話 ロレンツォ・デ・メディチの物語
第七話 航海者コロンボの物語
第八話 画家カラヴァッジョの物語

この中で、一番なじみのなさそうな第三話を取り上げたいと思います。この時代(930年頃)のヨーロッパについて書かれた日本語の本は、私の見るところではほとんどないのではないか、と思います。概観すれば、この時代のイタリアは混乱の時代で、後の時代に影響を与えるような出来事はなかったような時代らしいです。それで取り上げる人がいなかったのだろうと思います。しかし、うれしいことにこの本で取り上げてもらえたので、私にとっては「また、間隙を埋めることが出来た」という思いです。

  • (それにしても、私が埋めたいと思っている間隙がヨーロッパ史にはまだあって、その中で一番、気になっているのが神聖ローマ帝国ザクセン朝のオットー3世です。このウィキペディアに載っている記事は、日本語の記事の中ではかなり充実したほうでしょう。敬虔と残酷、巨大な政治目標と若くしての死、ローマ的なものとキリスト教、ローマとゲルマン、これらが一人の人物の中に同居している様子を、私はどうしても想像することが出来ないのです。)

この物語はとても錯綜しています。ここでどこまで紹介出来るか、とにかくやってみましょう。

 だが、カール大帝が亡くなると、統一ヨーロッパが幻想でしかなかったことが明らかになっていく(中略)八二七年シラクーザに上陸したイスラム軍は、四年後にほぼ全島を制圧(中略)こうして南からイスラム勢力、北からはノルマン・ヴァイキング、東からはマジャール人の侵攻を受けて、西方キリスト教世界はがたがたになっていた。(中略)教皇が世俗君主を兼ね、かつ皇帝戴冠という最高の世俗的権威を併せもっていれば、権力の亡者たちがそれに目を付けないはずがない。(中略)教皇が意のままにならなければ暴力で脅しつけ、廃位や暗殺の挙にも敢えて出る。イタリアの地方ボスの中で地理的に有利な立場にあるのは、スポレート公かトスカーナ伯だが・・・・

 父はスポレート派の貴族テオフィラット伯、マローツィアが物心ついた頃には、父はローマ貴族の代表者として、教皇庁に君臨していた。母テオドーラもなかなかのやり手で、この夫婦は協力して教会の世俗権力を私物化し(中略)両親はローマで最高の美女と評される我が娘を教皇の愛人とし、権力の道具としたが、娘のほうもそんな生活にすぐ適応したようだ。その教皇が亡くなると(中略)マローツィアは最初の夫を迎える。スポレート公アルベリコ、(中略)勇将である。(中略)二人の間に男児が生まれてまもなくアルベリコ公は病死。二年足らずの短い夫婦生活であった。マローツィアは若くして寡婦になったが(中略)手に入れた権力を維持し強化するために、自分の美しさと魅力を最大限に利用するつもりだ。そこで目を付けたのがトスカーナ候グイード、この結婚で教皇庁内の二大勢力、スポレート派とトスカーナ派を合体させ、自己のローマでの権力を磐石のものとするつもりである。だがこれに待ったをかけたのが教皇ヨハネス十世だった。
 ヨハネ教皇は野心家で好色、聖職者としてはとても立派とは言えないが、政治家としては相当の人物で、簡単にはマローツィアやその母の思い通りにはならず、イタリア王で皇帝の冠も戴くフリウリ候ベレンガリオと結んでテオフィラット一族を牽制、しばしばマローツィアの鼻をあかしていたから、こんな再婚には反対するのが当然だった。激突は避けられないと見たマローツィアが先手を打った。グイード候をそそのかして教皇を捕らえさせ(中略)最後は殺してしまう。食物を与えず餓死させたという。
 こうして邪魔者を消した二人は婚礼を挙げ、新しい教皇にはマローツィアの息子を擁立、ヨハネス十一世を名乗らせる。最初の結婚より前に生まれた子だが、故教皇セルギウスが実の父であると、誰でも知っていた。九三一年のことである。(中略)グイード候が原因不明の怪死を遂げた(中略)夫が亡くなるとすぐ、彼女は三度目の結婚を企てる。(中略)
 マローツィアの野望は果てしなくふくらみ、教皇の母、ローマの事実上の君主というだけでは満足できなくなっていた。イタリア王妃の地位を、そしてゆくゆくは神聖ローマ帝国皇妃の地位を、彼女は望んだ。イタリア王の称号を得てパヴィーアに君臨するプロヴァンスのウーゴは、亡夫の異母弟であるが、皇帝座への最短距離にある男だ。(中略)彼女は巧みに自分の縁談を進めた。こうして九三二年(中略)聖天使城での「世紀の婚礼」が実現したわけである。

その後彼女は、あと少しで(カール大帝により復活した西ローマ帝国の)皇妃の称号を手に入れるところで、自分の連れ子アルベリコに反逆され、幽閉される、という運命をたどります。そして著者は最後にこう記します。

 だが、彼女とその息子たち、特にアルベリコの行ったことを、歴史的に評価せよと言われたら、困ってしまう。

このようなわけの分からない時代のことを詳細に記してくれた著者に感謝です。

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