騎士と妖精 ブルターニュにケルト文明を訪ねて(2007/2/2より移動)

騎士と妖精―ブルターニュにケルト文明を訪ねて (音楽選書)

騎士と妖精―ブルターニュにケルト文明を訪ねて (音楽選書)

ケルト文明への私の興味は、ワーグナーのオペラ「トリスタンとイゾルデ」から来ています。ですが、この本を買った動機はたぶん、(というのは今ではもう忘れてしまったのですが)ドビュッシーの「沈める寺」にまつわる伝説を記していたからだと思います。
余談ですが「沈める寺」の「寺」という訳語はなんとかならないものかと思います。海外旅行が一般的になった現代にヨーロッパのことについて「寺」はないでしょう。例えば「沈める大聖堂」とか「沈めるカテドラル」(原語はLa cathedrale engloutie)とかいう訳語のほうがよくないでしょうか?
この本で知った沈めるカテドラル、沈めるイスの町、の話を私はあまり好きではありません。この本にも書かれていますが、この伝説がキリスト教によって悪魔にかかわる話に改変されているのが見て取れるからです。この物語の物語り方を変えてみたいと思っています。
 この本からの引用をいくつかして沈める都市イスの物語を紹介します。

ドビュッシーとほぼ同じころ活躍した、ブルターニュ出身の文学者ルナンも、若いころ自分の心の奥に海底のイス市があって、いつも鐘の音を聞いているような気がしていたと述懐している。「ときどき私は立ちどまって、その金の震えるような振動に耳をすます。この振動音は、まるで彼岸からの声のように、無限の深みから伝わってくるように思えるのだ」(『青少年時代の思い出』より)。

ブルターニュの人々は、海底からひびいてくる大聖堂の鐘の音のなかに、地上で亡びさったケルト王国の栄光への追憶をよびさましているのだ。

ある伝説では、海辺に住む婦人が海水を汲むため砂浜に降りていったとき、とつぜん巨大で豪壮な門があらわれた。その門をくぐって入っていくと、華やかな街並みがひろがる。通りには、まばゆいばかりの照明にかがやく商店がならび、豪華な品物が飾られている。彼女が眼を奪われながら進んでいくと、商人たちが戸口に姿を見せ、一文でもよいから何か品物を買ってくれれば、自分たちは救われると懇願する。彼女が、一文の持ち合わせもないと答えたとき、この華やかな都はたちまち消失してしまい、もとの砂浜だけが残ったという。

そして私が嫌いだと言った伝説の本体は次のようなものです。これは本から引用すると長いので、はしょって紹介します。

  • 5世紀の頃、フランスのブルターニュ地方にイスという都が栄えていてパリに匹敵していた。この都は埋立地の上に建設され、海より低いために、堅固な堤防によって囲まれていた。堤防にはいくつかの水門があり、海が干潮の時に、町からの水を排水するようになっていた。
  • このイスを治めるグラドロン王は、黄金で出来た、この重要な水門の鍵を、いつも首にかけた袋のなかにしまって、厳重に管理していた。王はキリスト教に帰依しており聖者ゲノレと親交があった。
  • ところが王の娘アーエスは、金髪の美女であるがこの都に虚栄と淫蕩の空気を吹き込んでいた。さらに王女アーエスは町の若者を多く殺していたという(このあたりが私が嫌いなところです。この本の著者もこれはキリスト教による改変である、と述べています。)。町の人々は神を敬うことをしなくなり、とうとうイスの町は神に見捨てられた。そしてある日、背の高い貴公子に変装した悪魔が町にやってくることになった。
  • この若者に言葉たくみに誘惑されたアーエスは、夜中に眠っている父親の首の袋からこっそり水門の黄金の鍵を盗み出して、若者に渡した。若者の姿をした悪魔は次々と都の水門を開け、たちまち海水が町に向かって流れ出した。
  • 馬に乗ってかけつけた聖者ゲノレによってグラドロン王は助けられたが、王女アーエスを助けることは出来ず(彼女は呪われていたので彼女が馬に乗っている限り、馬が進まなかったのだという)、海水の中に飲み込まれていった。こうしてイスの町は沈んでしまった。

しかし、ドビュッシーピアノ曲「沈める寺」から受ける印象は、とても神に呪われた町という印象を受けません。イスの町は神の怒りによって滅びたのではなく、キリスト教の支配する昼の世界から、水の下へ自発的に撤退しただけなのだと私は思います。そして月夜に波の静かな海の上に浮かび上がったカテドラルは、特定の人々だけに月の光の下にその壮麗な姿を現し、無言の内に、キリスト教文化にはない何かを問いかけているのだと思います。人々がその問いに答ることが出来た時に、イスの都が再び姿を現すのでしょう、そういう印象を受けます。
それをうまい物語に出来ればよいのですが。

ブルターニュには、旧くからつぎのことわざがひろく伝えられ、生きつづけている。−−「イスの都が水に沈んでから、パリと肩をならべる都はなくなった」、そして、「パリが水没するとき、イスの都はふたたび姿をあらわすだろう」−−

このことわざは、ブリタニアケルト伝説であるアーサー王物語にある「アーサー、過ぎし日の王、来るべき日の王」という言葉と通じるものがあると思います。また、この本の最後にも同じような記述があります。

 こうしたケルト地域文化の見直しとそのめざましい復興は、人類文化の活性化という点できわめて注目すべきものである。たしかに現在、洋の東西を問わず、集権化と文化画一化の潮流がおおいつつあり、周辺地域の個性を押し流そうとしている。(中略)
 そしてまた、華美な消費生活にしか関心をもたないような世界の若者を吸いよせている首都パリは、はたして「精神のない専門人、心情のない享楽人」(マックス・ウェーバー)にみちあふれている、頽廃の途への危険をはらんでいないといいきれるだろうか。こうした文化画一化にともなう頽廃をふせぎ、人類文化にあらたな活力をあたえるものこそ。ゆたかな地域個性にささえられた地域文化の多彩な発展であろう。
 ブルターニュに旧くからつたわるあの「沈める寺」イスの伝説にまつわることわざは、はたして荒唐無稽だろうか−−「パリが水没するとき、イスの都はふたたび姿をあらわすだろう」(Pa vo beuzet Paris,Ec'h adsavo Ker Is!)。