ドイツ参謀本部

ドイツ参謀本部 (中公新書 381)

ドイツ参謀本部 (中公新書 381)

私にとって渡辺昇一は右翼の論客という印象しかなくあまり興味も持てないのですが、この本は文句なしにおもしろかったです。これも古本屋で買ったのでした。
ナポレオンとの関連で言えば、諸国民戦争が終幕を迎えるあたり、このような叙述があり、考えさせられます。

このような調子でパリが陥落する3月30日までの約65日間、14回の戦闘があった。その14回のうちナポレオンは実に11回勝っており、敗れたのはわずか3回である。将棋や囲碁でこれだけの勝率があれば名人位は不動だが、戦争は違う。ナポレオンは鬼神のごときエネルギーで、この期間に延べ約1200キロを行軍し、圧倒的な勝率を上げたのだけれども、決定打がなかったのである。おそらくナポレオンは、若い頃の戦争のことを考えていたのかもしれない。そしてこれだけ戦場で勝っておれば、道は開けるはずだと思ったのだろう。
 しかし戦場の勝利が必ずしも大局と結びつかないことは、シャルンホルストグナイゼナウ構想に組みこまれていたのである。プロイセン軍は敗戦が命とりにならないうちに巧みに退却するのである。外見では敗戦であるが、退却しているほうの指揮官と参謀長は敗戦だと思っていないことを、ナポレオンはどうも最後までわからなかったように見える。(中略)
 もう陣頭指揮的なリーダーシップではどうにもならなかったのに、ナポレオンはそのことにまだ気づかなかった。

それから普墺戦争普仏戦争で活躍した大モルトケの人となりを述べたところも意外でおもしろかったです。

1842年、モルトケは義理の姪と結婚した。彼の妹はドイツに住む富裕なイギリス人の後妻となっていたが、その先妻にマリーという娘がいたのである。マリーのほうも義母宛に外国からすばらしい手紙を書いてよこす義理の伯父を敬愛していたので、42歳の男と16歳の娘との結婚は26歳の年齢差にもかかわらずスムーズに成立し、その後の生活もまことに静かで幸福なものだったという。子宝にめぐまれなかったモルトケの家庭は、主人の無口もあって、争いがないという意味でも静かであるのみならず、物理的にも物音のしない家であった。彼は上等の葉巻を静かにくゆらしながらクラウゼヴィッツなどを読んだ。そして庭の木が成長するのを眺めるのを無上の慰めとしていたのである。

それから普墺戦争の「ケーニッヒグレーツの戦い」でのモルトケの逸話

 また左翼から現れるはずの皇太子軍がなかなか現れず、激戦が続いて一時プロイセン軍が苦戦のごとく見えた時があり、それが4時間近くも続いた。苦戦している軍団からは「救援頼む」という伝令が何度もやってくる。しかしモルトケは冷然として作戦変更をせず、自分の計画が効力を出してくるのを静かに待っていた。気が気でなかったビスマルクが、葉巻のケースを出してモルトケにすすめると、モルトケはゆっくり選んでよいほうを取ったので、ビスマルクも、「作戦を立てた人間がこれだけ落ち着いておれば大丈夫だ」と安心したと言う。果たせるかな、まもなく皇太子軍の率いる軍が現れて、プロイセンの完勝となったのである。

なかなか、おもしろい本です。

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