ヒトラー暗殺計画
- 作者: 小林正文
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1984/10
- メディア: 新書
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・・・彼は、すぐ会場の下見に出かけた。(中略)ゲシュタポや親衛隊員がうろうろしていた。これでは、とても爆弾を仕掛けるどころではなく、ゲルスドルフは自分で爆弾を抱えてヒトラーとともに死ぬ覚悟をかためる。その夜、彼はホテルでシュラーブレンドルフから爆弾を受け取り、まんじりともせず一夜を明かした。
翌日、彼は外套の左右のポケットに爆弾を一個ずつ押し込んで会場へ出かけた。(中略)追悼式は音楽の演奏で始まり、ついでヒトラーが演説した。ゲルスドルフは(中略)覚醒剤を口にほうりこむと展示会場の入り口へ行った。(中略)
ヒトラーは会場入り口まで来ると、中部軍団の前司令官フォン・ボック元帥の同行を求めたいという。ヒトラーとボックがあいさつを交わし、みんなの注意がそこへ注がれている間に、ゲルスドルフは左手をポケットに突っ込むと、時限装置のカプセルをつぶした。右手はナチ式の敬礼のため高くかかげたところだった。あとは時機を見計らって、ヒトラーに抱きつき、彼と運命をともにするだけだった。(中略)
ところが、ヒトラーは、ゲルスドルフの説明に耳を貸そうともせず、わきの出口からさっさと出ていってしまったのである。ゲルスドルフはあわてた。酸が刻々と針金をむしばんでいくのが目に見えるようである。彼は近くのトイレに飛びこむと、冷や汗をかきながらやっとの思いで時限装置を爆弾から外したのだった。
いくつかの暗殺計画がこうして失敗に終わったあと、陸軍の反ヒトラーグループは暗殺+クーデタの作戦計画「ヴァルキューレ」を立案します。1944年7月20日、メンバーの一人シュタウフェンベルク大佐が、総統大本営で作戦会議中のヒトラーの至近距離で爆弾を爆発させることに成功します。しかしヒトラーは奇跡的に助かったのでした。
ヒトラーが死んだことを疑わないベルリンのクーデタ派の将校たちは「ヴァルキューレ」を発動させます。総統大本営(ポーランドにあった)とクーデタの中心であるベルリンの二箇所から矛盾した命令が陸軍各部隊に届き、クーデタは一進一退します。緊迫した状況下でのさまざまな立場におかれたさまざまな人間のさまざまな対応に興味を覚えます。
- ヒトラー。爆発後に医師の診察をうけた際に
- 「私のそばに裏切り者がいることは、まえからわかっていた。いまこそ、根こそぎにしてやる」
- 陸軍自動車学校のハラルド・モム校長
- 「ブタめが死んだぞ」
- ヴィッツレーベン。暗殺に失敗したシュタウフェンベルクに対して低く鋭く
- 「なんたるざまだ」
- レーマー。ゲッベルスに
- 「総統に対する反乱が起こったので、官庁街を閉鎖する任務を遂行しました。総統は致命傷をうけたと聞いています」
- ゲッベルス。レーマーに
- 「数分前、総統と電話で話したが、総統は傷などうけていない」
- クルーゲ(元帥)、占領中のパリで。しらを切って
- 「どこかから電話があって、クーデターに加担するように言われたが、だれだかわからなかった」
- クーデタ派のシュトゥルプナーゲル。そういうクルーゲに
- 「元帥はすべてご存知なのでは・・・」
- クーデタ失敗の翌日の新聞「フェルキッシャー・ベオバハター」の見出し
- 「われらの総統は生存!」
読んでいて、自分だったらどうしただろう、とつい思います。そして、男というのはなんてやっかいなものだろう、とも思います。