印欧語の故郷を探る

印欧語の故郷を探る (岩波新書)

印欧語の故郷を探る (岩波新書)

この本も好きな本です。一つは、ナチス台頭期の比較言語学界の様子が書かれていること。つまりナチスの持つ一種の北方ロマンチズムと客観的な学問との戦いの様子を読むことが出来ること。もう一つには、印欧語の故郷を探ること自体がロマンに満ちていることです。しかし、この本は記述がどうも体系的でありません。目立たないところでふいに話題が変わるために、戸惑ってしまうところがあります。
例えば、私は、以下の記述に、印欧語の故郷の謎を解く鍵がありそうに感じ、興味を覚えながら読み進んでいました。

南ロシアのドン、ドニエプル、ドニエストル川は、どれも黒海に注ぐ大河だが、そのDon, Dnjepr(ラテン語でDanaper, Danapris)、Dnestr(ラテン語でDanasticus, Danaster)という形は、語源的に、*dan(u), *dan(u)-apra-「彼方の流れ」、dan(u)-nazdyas-「此方の流れ」と解釈される。

これに関連してホメロスにみられる「ギリシア人」をあらわすDanaoiという固有名詞が提示され、ダナエの神話から(ゼウスが黄金の「雨」になって、青銅の部屋に閉じ込められているダナエのところに降りてきた)やはり*danという言葉と「流れ」の関係を強化しています。
ドニエプル川を「彼方の流れ」、ドニエストル川を「此方の流れ」と呼ぶからには、この言葉を話していた人々はドニエストル川流域の近くにいたように私は想像しました。具体的にはモルドバのあたりです。ここからギリシア人の祖先がギリシアへ下っていったと想像することも可能と思ったのです。
それでさらに読み進んでいくと、インド語派で*danu-の派生形と思われるものにインドラ神の敵の「ダーナヴァ」の別名「ダーヌ」がいてこれも「流れ」と関係しているとのことや、イランにもゾロアスター教徒に敵対する「ダーヌ」と呼ばれる一族がいる、という話が出てきます。しかし、そこから話が

 ヴェーダの古い詩に登場するダーサ、あるいはダスユdasa, dasyuとよばれる一族は、後のインド・アーリア人と争って敗れ、その奴隷となった人々である。

と、急に「ダーサ」の話になってしまい、「ダーヌ」の話はこの前のところで終わったままになってしまいます。あるいは「ダーサ」は「ダーヌ」と何か関係があるのかもしれませんが、本の記述からはそれを読み取ることが出来ません。
ここが戸惑ってしまうところです。でも、ここから読者が自由に空想を膨らませればよいのかもしれません。