第1章 アメリカの製造業 の概要

  • 1820年代までに、アメリカの繊維工業は、アメリカ製造業の特徴である垂直的統合が進んだ。これには2つの要因が考えられる。
    1. アメリカは、イギリスと異なり、職業別ギルドの強い伝統を持っていなかった。その結果、製造工程の統合への動きを阻む組織された既得権者はいなかった。
    2. アメリカは、イギリスと異なり、18世紀後半と19世紀前半に水力の大規模な未開発の源泉をなお持っていた。したがって、蒸気機関アメリカでは南北戦争までは広範囲には水力に取って代わらなかった。水力の大規模な源泉に、製造作業を集中することは望ましかった。その結果、繊維工業の垂直的統合が進んだ。
  • アメリカの製造業における第2の特徴は、複雑な多数の製品の製造における交換可能なパーツの生産であった。1850年から1880年までに生じた運輸と通信での革新、すなわち鉄道、汽船、電信、が第二次産業革命を引き起こした。これは1880年代と1890年代の大量生産と大量配達の革命を誘発した。
  • 1872年に、アンドリュー・カーネギーが製鋼業に手を染めた。カーネギーは、鉄と炭鉱と鉄鋼に関連する他の事業を垂直統合することにより、彼の事業規模を増大させた。その効果は劇的であった。1879年までに、アメリカの鉄鋼生産量は、ほとんど英国と等しくなった。ヘンリー・フォードは、スピードの重要性を認識していた。彼はベルトコンベア方式、つまり製品を移動させ続け、作業に人を持っていくのではなく人に作業を持っていく生産方式を導入した。
  • 製造規模が増大したので、それがマネジメントの革命を伴うことにもなるのは不可避だった。マネジメントでの科学を主張したのは「科学的管理の父」フレデリック・W・テイラーであった。科学的管理は、計画をマネジメント側の明示的な義務とすることによって、また数量化の必要性を強調することによって、インダストリアル・エンジニアリングやオペレーションズ・リサーチや経営科学の分野の確立に大きな役割を果たした。しかし、それは真に科学的な枠組みを持つことはなかった。
  • ピエール・デュポンルフレッド・スローンは、20世紀のアメリカの製造企業の形を作った。それは自律した事業部門が強いジェネラル・オフィスによって調整される組織、投資効率(ROI)の使用、需要予測、在庫トラッキング市場占有率評価のための洗練された手順の導入などである。
  • アメリカが製造の金色の時代を享受したのは1950年代と1960年代であった。このころのアメリカの製造企業の主要な成長要因は、マーケティングと金融の領域にあった。製造機能それ自身の重要性は二番目におかれた。しかし1970年代と1980年代の製造不況を迎えて、製造とオペレーションを軽視していたことが明瞭になった。1970年代と1980年代の衰退の後、1990年代にアメリカ製造業は復活した。しかしこれはかつての黄金時代とは異なり、グローバルな激しい競争の下での復活であった。このような競争下にあって製造会社が長期に渡り戦略的優位を保つための方法は、製造オペレーションに集中し、製品と市場の開発や顧客ニーズと、それを統合することであろう。


第2章 在庫制御:EOQからROPまで の概要 へ進む
Factory Physicsの概要へ