日本書紀(一) 岩波文庫

まだこの本が文庫にならなかった頃、この本をよく読んでいました。
神話の中に歴史の反映を見る立場の本、たとえば、アマテラスは卑弥呼を神話化したものである、じゃあ、スサノヲは誰になるか、とか、古代イヅモ王国があったとか・・・そういう本を今でもよく本屋で見かけますが、昔そういう本を何冊か読んだあとで、まずは原典にあたらなければ、と思ったので、この本を読んでいました。
この(一)は、日本書紀の巻第一から四まで、神代から祟神天皇までを収めています。祟神天皇が実在の推定できる最初の天皇であるとかないとか、その叔母ヤマトトトヒモモソヒメ(漢字で書くと倭迹迹日百襲姫)が卑弥呼であるとか、いやそれは台与であるとか、あるいは、戦後まもなく江波氏によって唱えられた騎馬民族説、つまり祟神天皇朝鮮半島からやってきたという説、とか、思い出します。
あるいは神代の神々の名前に対する考察が、この本の「注」や巻末の「補注」には載っていますが、それを読んで始めて文化人類学的な分野を知ることになったことも思い出します。ちょっと一例を出してみましょう。

(「補注」より)
 国常立尊(一六頁注一一) トコは原文では「常」の字が当っているが、神名の意味は、そこに当てられている漢字の意味に引かれずに、その表現する音だけによって考えるべきで、トコとは古くは「床」の意であり、土を盛り上げた台をいう。その床と岩との合成語トコイハの約(tokoiFa→tokoFa→tokiFa)がトキハ(常磐)となる。磐石のごとき床岩(トコハ)は永久不変の状態を表わすものと受け取られ、トコハという語が永久の意を表わすに至った。・・・・・・
 タチという語は「立」という漢字で書いてあるが、・・・・しかし日本語のタツは、「立」とはかなりその基本的意味が違う。タツとは、見えなかったもの、存在しなかったものが、活動しはじめて、下から上に姿をあらわすというのが古い意味。・・・・・従って、トコタチのタチも、それであったと見るべく、トコタチは「土台(大地)が出現し、大地が姿を現わす意」と解される。・・・・・

こんな感じです。
いろいろな思い出のある本です。