「サイバネティックス」という本の「第1章 ニュートンの時間とベルグソンの時間」(3)

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ここからウィーナーは急に生物学の領域に目を転じます。

生物学は完全に一方向きの現象を扱っている。誕生は死の正反対のものではなく、組織の発達を意味する同化作用は、組織の破壊を意味する異化作用の正反対のものではない。細胞の分裂も時間的に対称な様式では行われないし、受精卵をつくる生殖細胞の結合も同様である。個体は時間的に、一方向をむいた矢であり、種族も同様に過去から未来に向けられている。
 古生物学の記録には、断続したり、錯綜したりはしているが、単純なものから複雑なものへとすすむ長期にわたる決定的な傾向が見られる。

私は最初この箇所を読んだ時に、生物の死は、熱力学の第二法則、つまりエントロピー増大の法則の現れのひとつと解釈できるが、生物の誕生と成長は、エントロピー増大とは逆の現象のはずではないのか、それなのに誕生も死も一括して「ベルグソンの時間」の現れと解釈するのはおかしいのではないか、と感じました。その感じは、次の箇所を読んでさらに強まりました。

すなわち個体にしても種族にしても、いくつかの変異ができれば、そのおのおのの間には生存力の強さに差があるので、種の個体の単なる偶然の変異は、大体一方向性、あるいは二三方向性をもつ進化をするようになるということである。

 ダーウィンによる進化というのは、このように多少とも偶然による変異が、もっとはっきりした体型に結びつけられてゆくメカニズムをいうのである。

生物の進化とは生物の成長と同様に、エントロピー増大の逆を示す現象ではないのか、と当初、私は考えました。しかし、よく考え直してみると成長しつつある生物の内部においても死につつある生物の内部においても物理法則は同じように働き、それは非可逆の時間を示しているのですから、同じように扱ってよいのではないか、と思いなおしました。そして生物は閉じた孤立系ではないのだからそこにエントロピーを厳密に定義すること自体が困難です。


そこからウィーナーは今度は統計力学の話題に進みます。

マクスウェル−ボルツマン−ギブスと名を連ねてみると、熱力学がしだいに統計力学で置きかえられていったことがわかる。すなわち熱や温度に関する現象がつぎのような現象に帰着されたのである。それはニュートン力学が、1個の力学系ではなく、多くの力学系の統計分布に適用される場合で、しかもそのような系の全部ではなく、その圧倒的大多数について結論が得られる場合に帰着されたのである。

ここにウィーナーの基本姿勢が表れています。それは確率的世界観とでも言うべきものです。現在を確率的な分布として捉え、その未来の確率分布を予測することが、彼の基本姿勢です。


たとえば、ある気体の振る舞いを観察するとしましょう。我々はこの気体を構成する分子の各々の位置と速度を正確に知ることは出来ません。気体を構成する分子の数はあまりにも多すぎるからです。我々が知ることが出来るのは体積とか圧力とか温度とかいった量です。これは実は統計的な量です。
たとえば、圧力は、単位時間の間に分子が壁の単位面積に当たって運動量を変化させる時の運動量の変化の総量になります。我々はそのようないくつかの統計量しか把握出来ません。よって、複数の状態の現象が同じ統計量を持っているとすると、我々はそれらを区別出来ません。よって、我々がある現象の統計量を観察して、その現象の未来を予測する際、我々はひとつの状態の現象(「1個の力学系」)ではなく、多くの状態の現象(「多くの力学系の統計分布」)を扱っていることになります。そして、最初の状態がある確率的な分布を持つわけですから、その未来の状態も一般的には確率的な分布を持ちます。しかし、巨視的に見た場合、その「圧倒的大多数」はエントロピーが増大する方向に進みます。
この「圧倒的大多数」というのは100個中99個というのではなくて100個中99.9999999・・・と9が小数点以下1兆個つくような、そのようなほぼ1に近い確率のことを言っています。


以上を書きながら、やはり私はモヤモヤしたものを感じてしまいます。生物にかかわる諸現象を思い浮かべる時、「時間が可逆でないことの理由が大多数の粒子の存在にあり、そしてそれらの状態を完全には我々が把握出来ないことにある」ということが、どうも本当そうには思えないからです。
私はもう一度、統計力学を学ぶ必要を感じます。


次の記述でウィーナーは量子力学について述べ、

この理論によれば、現在と過去のデータを完全に集めても、未来は統計的にしか予測できないのである。したがってニュートン天文学のみならずニュートン物理学までが、統計的な状態を平均したものとして描かれたことになり、これもまた進化論に属することとなってしまったといってもいいすぎではない。

と結論づけています。ここで「進化論に属する」というのは「ベルグソンの時間に属する」という意味でしょう。


ところで、このような話と情報科学とがどのように結びつくのでしょうか? ウィーナーの記述からははっきりとは分かりませんが、我々は全知ではないからこそ、常に情報を入手してそれを元に行動を起こし修正していくことが(特に生物にとっては)必要である、というふうに結びついているのだと思います。


「サイバネティックス」という本の「第1章 ニュートンの時間とベルグソンの時間」(4)」に続きます。