プルターク英雄伝(三)(1)

(三)で取り上げられるのはギリシア人(アテナイ人)ペリクレースとローマ人ファビウス・マークシムス、ギリシア人(アテナイ人)アルキビアデースとローマ人コリオラーヌスです。プルタルコスはペリクレースとファビウス・マークシムスについては

この二人はいろいろの徳性、特に温和と正義心が似ていて、民衆や同僚の忘恩を耐え忍ぶことができた点で、祖国に非常な功績を尽くした人々である。

という点で取り上げ、アルキビアデースとコリオラーヌスについては、ひとつは優れた戦略家であったこと

その戦争に関するものにおいては二人のいずれにもはなはだしい軽重をつけることが出来ないことは見ればわかる。

と祖国を裏切って祖国に大きな損害を与えたこと

国にいて支配をしている間、自国のためにいくつも明白な成功を収めた後、敵方に投じてからはまた一層明白に自国に害を与えたということも、この二人に共通である。

という点で取り上げています。



また、この中から一人を取り上げて簡単に紹介しようと思うのですが、その一人にアルキビアデースを選びました。
この人の活躍した時代はペロポネソス戦争(BC431-404)の時代です。ペロポネソス戦争と言うのは全ギリシアアテナイ方とスパルタ方に分かれて戦った戦争です。開戦に当ってアテナイの優れた政治家ペリクレースは、国庫の充実、制海権の確保を理由に絶対の自信を見せていました。そしてアテナイの市壁の中に全住民を収容し、たとえどんなにスパルタ側がアテナイの農地を荒らそうとも撃ってでるようなことはせず、海上を確保しておけば負けることはない、という作戦に出ました。
この作戦は万全のはずでした。しかしペリクレースには想定外のことが起きてしまいます。全住民を市壁の中に収容したために人口密度は不自然に多くなり、そこに疫病が発生したのです。それだけでなく、ペリクレース自身がその疫病に倒れ死んでしまったのでした。偉大なペリクレース亡きあと、アテナイの政界を指導したのは貴族派はニーキアース、民衆派はクレオーンでした。このクレオーンはデマゴーク(扇動政治家)と呼ばれています。彼は常に好戦的で、和平派のニーキアースを非難しました。しかしその言動が禍して民衆からクレオーン自身が将軍として戦場に向かうよう要求され、その後紆余曲折がありますが、アンフィポリスで戦死します。そこでニーキアースはスパルタ側と交渉して和平を実現します。これが「ニーキアースの平和」です。


アルキビアデースが政界に登場するのはここからです。彼は血筋からいって民衆派の指導者の1人と見なされていましたが、貴族派のニーキアースが平和を実現して称賛されているのが気に食わないのでした。

ギリシャ人の間に広まった噂では、ペリクレースが仕掛けた戦争をニーキアースがそれをやめさせたところから、ニーキアースの講和と呼ぶようになったというので、アルキビアデースは途方もなく忌々しく思い、嫉妬心から講和の誓いを破ろうと誓った。

そして、たまたまアテーナイに来ていたスパルタの使節を騙して、民会で不利な発言をさせ、アテーナイ市民の憤激を買わせて開戦にもっていったのでした。


次にアルキビアデースが計画したのはシケリアー、つまりシシリー島、を攻略することでした。

この野望を大いに煽り立てて、・・・大艦隊をもって航海し、この島を攻撃して屈服させるように説いたのはアルキビアデースであって、アテーナイの民衆に大きな希望を持つように仕向け、自分自身はさらに大きな計画を懐いた。・・・・アルキビアデースはカルタゴーおよびリビュエーを夢み、それらを手に入れてからやがてイタリア及びペロポンネーソス(スパルタのある地方)を屈服させようと図り、シケリアーをほとんどその大戦争の手段としていたのである。

これが実現していたら、ローマ帝国のようなものが200年前に出来ていたことになるでしょう。さてニーキアースはこの大それた計画に反対しましたが、アルキビアデースに扇動された民衆によって、アルキビアデースと一緒にシケリアー攻略軍の将軍に選ばれてしまいます。それは

アテーナイの人々には、アルキビアデースを生(き)のままにしておかずその豪胆にニーキアースの予見を混ぜておくほうが戦争の事がうまく行くだろうと思われた。

からです。


ところが、いざ出発となった時にアルキビアデースは人に訴えられます。神の像を破壊したとか、秘密にすべきエレウシスの宗教儀式のまねを酒の席で行った、というのです。これは結局、証拠不十分なままに終るのですが、アルキビアデースの日頃の言動には、充分、人々にそう疑わせるものがありました。民衆はまずはアルキビアデースとニーキアースを軍隊とともに出航させますが、あとで気が変わってアルキビアデースを裁判にかけるために呼び寄せます。このあたり、当時の無責任になった民主(衆愚)政治が垣間見えるようです。彼は軍を離れ、逃げることにします。そしてアテーナイの仇敵スパルタに身を寄せます。そもそもアテーナイがスパルタとの和平を破って戦争を再開させたのは自分であるにもかかわらずです。

自分の敵*1を恐れて全く祖国を否認し、スパルタへ使いを遣って、自分に安全を保障して信頼を与えるならば、以前的として与えた損害よりも大きな援助と利益を与えようと申し入れた。スパルタの人々は、保障を与えて迎えたので、そこに着くとすぐに熱心に一つの仕事をはたした。それは・・・・ギュリッポス*2を指揮者として派遣させシケリアーにいるアテーナイ軍を粉砕することにさせた。

これによってアテーナイ軍は撃破され、大勢の捕虜はシュラクーサイの石切り場に収容され、そこで多くのものが不健康な環境で死んでいったのでした。ニーキアースも捕らえられ、スパルタのギュリッポスは助命するつもりでしたが、シュラクーサイ人が反対して、死刑に処せられたのでした。


アルキビアデースはアテーナイでの放縦な生活を改め、スパルタ的な質実剛健な生活を始めます。

髪の毛を短く刈り冷たい水浴を取り大麦のパンに親しみ黒い粥をすすっているところを見ては、この人が(アテーナイで)一度でも家に料理人を置いたとか香油師の顔を見たとかミレートス産の外套の感触になれたとかいうことは到底考えられなかった。

スパルタ人はこう言って感嘆したといいます。

「あれはアキレウスの子ではない。アキレウスそのものだ*3。リュクールゴスにしつけられた人だ。」

彼には相手の風習、習慣を短期日に自分のものにする才能があったのです。これがどこでも自分の味方を見つけることが出来る理由の一つでした。しかし彼は調子に乗ってあろうことかスパルタ王アーギスの留守中に

その妃を誘惑して自分の子供を宿させた

のでした。


長くなりましたので、今日はここまで。

*1:アテーナイの反アルキビアデース派

*2:スパルタの将軍

*3:ことわざにある文句