プルターク英雄伝(三)(3)

プルターク英雄伝(三)(2)」のつづきです。
こうして華々しく帰国し、再びアテーナイの将軍として陸に海に活躍を始めたアルキビアデースでしたが、またしても民衆の移り気に苦しめられます。

 もしどこかに自分の名声のために身を滅ぼす者がいるとしたらそれはアルキビアデースだと思われた。その収めた成功、勇敢、および知見による名誉は大きかったが、そのために人々はアルキビアデースに出来ない事があろうとは信じないところからたまたま失策があると本気になってやらないためだという疑念を持つようになった。

そしてこの頃、アルキビアデースはそういう失策をおかしてしまいます。



この頃からスパルタは新しい将軍リューサンドロス(この人の伝記も英雄伝には入っています)が着任しますが、これがなかなかな人物なのでした。彼はペルシャ王の弟キューロスを味方につけ、そこから戦争の資金を得ました。対するにアテーナイには金がなくアルキビアデースはエーゲ海の島々やイオニアー、カリアー*1に出かけて資金と食料を徴収しなければならない状況でした。カリアーにアルキビアデースが出かける時、彼は自分の部下の一人、アンティオコスに艦隊の指揮を委ねましたが、このアンティオコスにはすぐカッとなるところがありました。リューサンドロスはそこにつけこんで、アルキビアデースのいない艦隊を破ります。かくして

同じ陣営にいてアルキビアデースを憎んでいる人々の一人トラソーンの子トラシュブーロスは、この時アテーナイに去ってアルキビアデースを告発した。アテーナイの人々を扇動し民会に出て、アルキビアデースは将軍の職にありながら放縦な生活にふけり、酒宴や道化によってその身辺に大きな勢力を握っている海軍の軍人たちに指揮を委ねて、自分は安全な場所を航海し・・・・・すぐ近くに敵軍が出動しているのを構わずにいたものだから、戦略を全く誤って軍艦を失ったと述べた。

再び、アルキビアデースは離脱します。今度はトラキア*2へです。そこで傭兵を集めて山賊兼用心棒のようなことをして生活を始めました。しかし今度は祖国に刃向かうようなことはせず、アテーナイ海軍の布陣が悪いと、のこのこ出かけていって「それは悪い、こうしなさい」などと世話を焼いていました。しかし、アテーナイの将軍たちは

あなたが将軍ではなく別の人々が将軍だ

と言って聞きません。その結果・・・

 いずれにしてもアルキビデースがアテーナイ軍の錯誤を正しく見抜いていたことはやがて事実が証明した。というのは、リューサンドロスが不意にアテーナイ軍に攻撃を加えて、軍艦8隻だけがコノーンと共に逃げおおせ、他の軍艦は200隻近くも捕獲されて持って行かれた。兵隊は3000人もリューサンドロスが生け捕りにして殺した。しばらく後に*3アテーナイを陥れ軍艦を焼き尽くし長壁を取り壊した。

ペロポネソス戦争はスパルタの勝利に終ります。

 アテーナイの人々は・・・・悲しみながらも自分たちの誤りと愚かさを逐一反省して、その最大なものはアルキビアデースに対する二回目の憤慨であったことを悟った。というのは、アルキビアデース自身は何一つ不正を行わないのに投げ出され、アテーナイの市民はわずかばかりの船をおめおめと失ったその下役の将軍に腹を立てて、最も有力な最も戦争のうまい将軍の市民権を剥奪したことはなおさら恥ずかしい事だと考えた。


やがて、アルキビアデースが生きている限りアテーナイの危険性は去らない、と考えるスパルタからリューサンドロスの許に彼の暗殺の指令が届きます。彼はペルシャの太守の一人、ファルナバゾスにそれを依頼しました。その頃アルキビアデースはペルシャ領にいたからです。アルキビアデースは、ファルナバゾスの手の者によって暗殺されました。

 そこへ送られた人々は思い切って入ることが出来ず、家の周りを取り巻いて火を点けた。アルキビアデースはそれに気づいて着物や夜具の大部分を集めて火に投げ入れ、左の手には自分の外套を巻きつけ、右の手に短剣を抜いて着物の焼けない中に火をくぐって家の外に飛び出し、見つけたペルシャ人たちを追い散らした。誰一人刃向かう者もなく攻め寄せても来なかったが、遠巻きにした人々は槍や矢を放った。こうしてアルキビアデースは倒れ、ペルシャ人たちが去った後に、ティーマンドラー(その頃、アルキビアデースと住んでいた女性)は死骸を取り上げ自分の着物で覆い、手許にあった物で立派に厚く葬った。


最後に、私の大好きなハドリアヌス帝の回想

から、ハドリアヌスが(もちろんこの小説の中のハドリアヌスが)アルキビアデースをどう考えていたのか示す箇所を引用して終ります。

 わたしがもっとも完全な、もっとも明快なかたちで幸福をもちえたのは、それよりしばらく後、フリギアの、ギリシアとアジアとが相接する境界の地においてであった。われわれはペルシアの諸侯の陰謀の犠牲となってここで死んだアルキビアデスの墓のある、人里離れた荒涼たる荒れ地に天幕を張った。わたしは何世紀も人にかえりみられぬこの墓の上に、ギリシアの最愛の人物の一人であるこの人の肖像を、パロス産の大理石で刻ませ、据えさせた。そして毎年なんらかの記念祭の儀式を行うように命じた。隣村の住民たちが、わたしの護衛の者とともに、それの第1回の記念式に参列した。若い雄牛が生贄にそなえられ、その肉の一部分は夜の祝宴のためにとっておかれた。平原では即興の競馬や舞踏が催され、ビティニアの若者*4もそれに加わって燃えるような優美さで踊った。しばらくして、夜の最後の焚火のそばで、頭をそらせ、がっしりしたみごとな喉を見せて彼は歌った。わたしは自分を量るのに、故人と自分とをならべてみるのが好きだ、その夜、わたしは自分の人生を、この地で矢に貫かれ、若い友に守られアテナイの娼婦に嘆かれながら倒れたあのやや老い初めた偉大な享楽者の人生と比べてみた。わたしの青春はアルキビアデスのそれのような眩惑的魅力をもっていなかったが、わたしの多様性は彼にまさるとも劣らない。わたしは彼と同じくらい享楽し、彼以上に反省し、はるかに多くの仕事をした。彼と同様、愛されるという不思議な幸福をもった。アルキビアデスはあらゆる者を誘惑し、歴史をすら誘惑した。とはいえ彼の後には、シラクサの石切り場にうちすてられたアテナイ人の死者の山と、崩壊寸前の祖国と、愚かにも彼が傷つけた辻々の神とが残された。わたしはあのアテナイ人が生きた世界よりはるかに広大な世界を支配し、そこに平和を維持した。わたしはローマ世界を、何世紀もの航海に耐えるよう装備された船のように、ととのえた。

*1:ともにトルコ西岸

*2:今のブルガリア

*3:前404年春

*4:アンティノウス、ハドリアヌスの愛人