「光の場、電子の海」はやっぱり名著だった!

ブログ上では伊勢にジッとしているようにみえる私ですが、昨日も新幹線であっちこち行っていました。新幹線の中で

を読み終わったのですが、これはやっぱり名著でした。終章の「標準模型」は叙述が駆け足なので理解不足の感触が残りましたが、その他の章はかなり満足する読後感を与えてくれました。とはいえ、この本が裏表紙に書かれているような

20世紀の天才物理学者たちは、いかにして「物質とは何か」という謎を解き明かしたのか? その思考の道筋が文系人間にも理解できる画期的な一冊。

というような惹句には疑問を覚えます。



「いや、少なくとも量子力学の知識がないと分からないんじゃないの?」
 というのが私の正直な感想です。しかし、これは理系人間を自認する私のおごりかもしれません。それはともかく、皆さんにお伝えしたいのはこの著者の「熱」です。つまり、著者をしてこの著書を書かしめるに到った根本原因です。それが現れている箇所を皆さんにご紹介したい、と思いました。

 標準模型(CUSCUS注、重力を除くこの世の全ての物理法則を導き出すことが出来る理論)が完成の域に達したとき、多くの素粒子論研究者が、これまでにない知の深みに達したことに熱狂し、理論が持つ哲学的含意に息を飲んだ。しかし、この熱狂は、専門家以外にまで伝わらなかった憾みがある。

この「標準模型が完成の域に達した」のは1970年代の半ばまでだそうです。(仮にそれが1975年とすれば・・・それは・・・・私が高校1年生の時なんだ! あの時、そんなことがあったんだ!)それから34年経ちましたが、私も「理論が持つ哲学的含意に息を飲ん」でみることが出来たらと思います!


それが出来るかどうかは疑問ですが、ともかく、「理論が持つ哲学的含意」の片鱗を示すと思われる文章を引用します。

 最先端物理学が描き出す世界の姿は、時計仕掛けのような無機質なものとは程遠い。「互いに力を及ぼしあう多数の粒子が機械的に組み合わされて物質を形作る」という19世紀的な原子論は、とうの昔に廃れている。世界は野放図なまでにダイナミックであり、人知を超えて創造的である。

・・・ああ、空海禅師が「善きかな」と言いそうな。

 現在でも、一般の人は、19世紀的な原子論とそれほど変わらない世界像を持っているだろう。陽子や中性子を知っている人は少なくないはずだし、科学に関心のある人ならクォークという言葉を聞いたことがあるかもしれない。だが、一般的な理解では、これらはあくまで空間の中を動き回る小さな粒子であり、互いに力を及ぼしながらくっついて物質を構成することになる。

ええ、私もそう理解していました。

こうしたメカニカル(機械的)な世界像には、空間を満たしている場がダイナミックに波動を伝えるというイメージが決定的に欠落している。

世界の見え方は、空虚な空間内部を原子が運動するという19世紀的なものとは全く異なってくる。われわれが3次元の空間と1次元の時間として認識しているものは、実は無数の(ある数え方によれば、1立方センチ当たりに10の100乗、すなわち。1の後に0が100個続くという途方もない数の)次元が集まった超高次元世界である。・・・・こうして実現される複雑さは、構成要素の組み合わせに還元することができない。素粒子論と言うと、世界を単純な要素に還元する理論であるかのように思われがちだが、実は全く逆なのである。

ええっ、そうなんですか?

かくも深遠で含蓄のある世界像を一部の物理学者だけが独占しているのは、あまりにもったいない。

これが著者がこの著書を書くに到った「熱」ですね。


私が本書から理解したのはたぶん本書の内容の50%、自分にひいき目にみても80%なので、たいしたことはないのですが、私なりにその世界観を表してみますと、要するに「この世は波」だということです。粒子とみえる物も全て波。ただし、「量子条件」というものがあり、波はバラバラのエネルギーの値を取らざるを得ないのですが、これが粒子として現象の世界に見えるのです。簡単に言うと、粒子が根本ではなく波が根本、波の現れが粒子、ということです。この標準理論では、電子の波、クォークの波、(その他にもミューオンニュートリノ、光子、いろいろありますが)が、それぞれ別々の波、と想定されています。しかし、今後の理論、たとえば超ひも理論などでは、これらが1種類の波のいろいろなあり様として説明できるかもしれない、というのが現状だと思います。
特に重要なのは(と私が思うのは)、複数の粒子、たとえば、私の右手にある原子のなかの電子と私の左手にある原子のなかの電子はまったく別物ではなく、両方とも電子場という宇宙に広がった「1つのある物」の波にすぎない、ということです。今、たとえを、私の身体の中だけに限定しましたが、この理論によれば、***さんの身体の中の電子と私の身体の中の電子でさえも別物ではなく、宇宙に広がる「1つの電子場」のそれぞれ別々の波ということになるのです。(まるで古代インド哲学ウパニシャッドのウッダーラカ・アールニの教説のようだ。)
これは「名著」です。「物理学徒たらんと思う者は一度は目を通すべし」です。