プルターク英雄伝(七)

このプルタルコスの英雄伝は、古代ギリシア・ローマの偉人伝とでも言うべきものですが、たまには反面教師になるような人物も取り上げています。今回の本(七)で登場する

はどちらも軍を率いて惨敗し、自分の命を失い、軍隊も重大な損害をこうむったことから、プルタルコス先生はこの2人を反面教師として取り上げました。

ニーキアースにクラッススを、またシケリアーの惨敗にパルティアーの惨敗を比較しても大して的はずれにならないであろう


ローマのクラッススについては塩野七生氏の「ローマ人の物語」ではさんざんな人物に書かれていますが、プルタルコス先生はニーキアースに比べてクラッススには気概があったと誉めています。

ニーキアースが政治において臆病で無気力で、下劣な人間にも下手に出たことはきびしい非難に値する。この点では全くクラッススは気位が高く・・・・花々しい戦果をあげたカエサルや三度も凱旋式を行ったポンペーイウスの前に屈せず、このいずれにも実力をもって対抗し、コーンスルの職権によってはポンペーイウスをもしのいだ。

具体的にはニーキアースが政敵のクレオーンに将軍職を譲って、彼が功績を挙げるのを結果的に助けてしまったことを指しています。クレオーンは、偉大なペリクレスが死んでのちに台頭してきたデマゴークで、責任感のない常習的な反対者でした。さて、ペロポネソス戦争の初期、スパクテリアという島に孤立したスパルタ兵400人をアテーナイ遠征軍は攻め落とせないでいましたが、クレオーンはそのことをニーキアースの臆病さのせいであると批判しました、自分ならば、もっとさっさと占領している、と。すると民衆は、ならばおまえが将軍になって行け、と騒ぎ出し、ニーキアースも軍隊の指揮権をクレオーンに譲る、と言い出したのです。クレオーンはいやいやながら将軍になってスパクテリアに向かったのですが、現地にいたもう一人のアテーナイの将軍デーモステネースのおかげで、見事スパルタ兵を降伏させてしまいます。
これをプルタルコス先生は、ニーキアースの責任放棄だといって批判します。

徳性に敏感な、国民を預かって勢力をふるうことの出来る人は、悪人に地位を、支配の出来ない者に支配を、信頼の出来ない者に信頼を与えてはならないのに、ニーキアースは、アテーナイにおいて演壇から放つ恥知らずの叫び声だけのクレオーンに、自分から言い出して軍隊の指揮を委ねた。・・・・ニーキアースのやり口は全く見当違いの危険なものだと思う。というのは、ニーキアースは、希望も安易もない場合には自分の政敵に名誉心と支配権を譲り、遠征がはなはだしく危険だとみると、自分だけ安全な地位にしりぞいて国家の大事を平気で見捨てたからである。


さて、このクレオーンもやがて戦死してしまいます。それを機にニーキアースはスパルタと講和を結びます。しかし、今度はアルキビアデースが民衆を扇動して平和条約を破棄させてしまいます。そしてアルキビアデースはシケリアー(シシリー島)遠征をアテーナイ民会に提案します。ニーキアースはその計画の無謀さを指摘して反対しますが、雄弁なアルキビアデースに民会で負けてしまいます。それのみか、ニーキアースは民会によってアルキビアデースと一緒にシケリアー遠征の軍隊の将軍に任命されてしまいます。


その後、いろいろあってアルキビアデースはスパルタ側に逃亡し、ニーキアースはシケリアーで1人で軍隊の指揮をするはめになります。ニーキアースの戦法は一口に言って消極的で、なかなか目立った成果が出ません。

 これは全ての人がニーキアースに責めた点で、相談したり躊躇したり警戒したりするうちに行動の機会を逸してしまったというのである。行動そのものについては誰一人この人を非難する者がなかった。いったん乗り出せば活発で有効であったが、乗り出すまでに躊躇して思い切りが悪かったのである。


戦況は一進一退でしたが、アテーナイから救援に駆けつけたデーモステネースの軽率な作戦のせいで却って大きな損害をこうむってしまい、とうとうシケリアーから撤退しようということになりました。しかし、この時にたまたま月食が起り、これを不吉な兆しと見たニーキアースは、撤退を1ヶ月も(!)延期することを決意します。次の満月の夜までは月が穢れている、という理由からです。これが致命的でした。敵が1ヶ月も待ってくれるはずはなく、戦意を失った軍隊は次から次へと敗戦と撤退を繰り返すようになります。ニーキアースは

病気のためにやつれはて身分に似合わず不自由な食事に甘んじ・・・・多くの達者な人々にもほとんど我慢の出来ないような事を病苦をおして耐え忍び、自分のためや命を惜しんでそれらの苦労に耐えているのではなく人々のために希望を失うまいとしていることが誰の眼にも明らかに見えた。・・・・
・・・・昔、遠征を止めようとして行った演説と勧告を思い出した人々は、今となってひとしおこの人がこういうひどい目に会うのは不当だと考えた。

そしてとうとう、シュラークーサイ軍とスパルタ軍による

残酷この上もないはなはだしい殺戮が行われた

ので、ニーキアースはスパルタの将軍

ギュリッポスの足元に平伏してこう言った。『勝利を得たあなた方は憐れみを持って下さい。私は、あれほど幸運な目に会って名も誉れも得たのだから構わない。しかし他のアテーナイの人々を憐れんで下さい。戦争の運不運は誰の身にも降りかかるもので、アテーナイの人々はうまく行った時にあなた方に対してその幸運をほどよく、かつ温和に使ったということを思い出して下さい。』

この言葉を聞いてギュリッポスはニーキアースを助命するつもりになりました。ニーキアースがかつてスパルタの捕虜に対して温和に扱ったことを思い出したからです。しかし、スパルタの同盟国シュラークーサイの人々は承知せず、ニーキアースを死刑に処してしまいました。
私はアルキビアデースのような一種の天才よりもニーキアースのようなある意味、普通の人に妙に共感を覚えます。それから、ニーキアースに勝ったギュリッポスは、リューサンドロスのところでご紹介したように、横領が見つかって失脚してしまいます。こんなところに運命の転変を感じます。