ニーベルンゲンの歌(前編/後編)

私がこの本を買ったのは、名高いこのドイツの古い叙事詩を鑑賞しようという殊勝な気持ちからではなく、この叙事詩の中にゲルマン民族大移動時代の、なんらかの事実の痕跡を見いだせないか、という気持ちからです。
結論からすると、そのような痕跡はまったく見いだせない、でした。この叙事詩に登場する人物の名前の多くは実在の人物に由来しているのですが、この物語の中での彼らの行動は歴史上の事実とはほとんど無関係なものです。昔、私が子供の頃、シュリーマンの故事を知って、神話伝説の中には事実が潜んでいる、というロマンチックな思いをずっと持ってきていましたが、この叙事詩と歴史的事実の間の関係を知ってからはそのような思いが消えてしまいました。


ニーベルンゲンの歌のごくかいつまんだあらすじは、以下のとおりです。


ニーデルランド(今のオランダ)の王子ジーフリトはブルゴンド国の王女クリエムヒルトに魅かれ、ブルゴンド国の中心都市ウォルムス(ライン川中流の都市)に乗り込み、そこの王グンテル(彼はクリエムヒルトの兄です)を援助して活躍し、やがてクリエムヒルトの愛を得る。一方、グンテルにも心魅かれる女性がいた。それはイースランド(アイスランド?)の女王プリュンヒルトだった。しかし、彼女は武芸の達人であり、自分より力において優れた男としか結婚しない誓いを立てていた。グンテルはジーフリトの助力で彼女に打ち勝つ。ジーフリトには自分の姿を見えなくする隠れ蓑があったので、姿を消してグンテルの助力をすることが出来たのだった。こうしてジーフリトはクリエムヒルトと、グンテルはブリュンヒルトと結婚するが、やがてクリエムヒルトとプリュンヒルトの間に自分たちの夫のうち、どちから優れているかで、口論が起こる。その際、クリエムヒルトはジーフリトによる助力の件を自分自身の誤解も交えてブリュンヒルトに告げてしまう。名誉を汚されたと思ったプリュンヒルトに同情したグンテルの重臣ハゲネは、グンテルの同意を得てジーフリトを暗殺する。それから年月が経ち、クリエムヒルトは兄グンテル王とは和解したが、夫に手を下したハゲネだけは絶対に許そうとしなかった。
以上が前編です。


後編は、フン族の王エッツェルが妃をなくしたという話から始まります。王は新しい妃を探していたが、クリエムヒルトが美しいという評判を聞き、彼女に求婚する。兄のグンテル王始め親族の者は賛成して(ハゲネだけは反対して)クリエムヒルトを説き伏せる。長いことその気にはならなかったクリエムヒルトであったが、恐ろしい思いつきによって彼女はエッツェルの妃になる決意をする。それは、エッツェルの妃になれば権力を得、それによってハゲネに復讐することが出来る、という思い付きだった。クリエムヒルトがエッツェルの妃になって13年後、彼女はエッツェルの宮廷にグンテル達を招待する。グンテルたちはクリエムヒルトのたくらみに気づかなかったが、ハゲネだけはそれに感づく。にもかかわらず忠義なハゲネはグンテル王のそばを離れることが出来ず、一緒にフン族の国(ハンガリー)に向かう。王エッツェルはブルゴンドの一行を歓迎するが、クリエムヒルトとハゲネはお互いに敵意を隠さない。クリエムヒルトにそそのかされたフン族側のブレーデリーンとその郎党がブルゴンド側を襲い、それをきっかけに凄惨な戦いが始まる。双方多数の騎士が殺されていき、グンテルとハゲネもついに捕らえられクリエムヒルトによって殺される。フン族の宮廷に逗留していたベルンのディエトリーヒ王の重臣ヒルデブラントフン族の味方であったがクリエムヒルトの残虐な仕打ちに怒って、クリエムヒルトを討つ。

そこで老将ヒルデブラントがいった、「あの妃が勇士*1を敢えて討つとは、
このまま見過ごしにはできぬことだ。
勇士はわしをひどい目に会わせはしたが、わしの身がどうなろうとも、
あのトロネゲの勇士の仇はわしが取ってやろう。」

ヒルデブラントは怒りに燃えてクリエムヒルトに跳びかかり、
したたかな一太刀を王妃に加えた。
ヒルデブラントに対する恐怖に怯えて、彼女は凄まじい悲鳴をあげたが、
それがなんの役に立ったであろう。

死すべきものはここにすべて倒れ伏した。
高貴なる王妃も真っ二つに切り断たれていた。
そこでディエトリーヒとエッツェルとは泣き悲しんだ。
二人の王は一族郎党の身を打嘆いた。

誉れ高かったあまたの人々はここに最期を遂げた。
世の人はみな嘆きと悲しみに打沈んだ。
王者の饗宴はかくて悲嘆をもって幕をとじた。
いつの世にも歓びは悲しみに終るものだからである。

その後のことどもについては、おん身たちにこれを伝えるよしもない。
ただ騎士や婦人や身分のよい従者たちが、
愛する一族の死を嘆くさまのみが見られた。
物語はここに終りを告げる。これぞニーベルンゲンの災いである。


歴史的な事実とされるものは以下の通りです。

  • 西ローマ帝国末期の435年、ローマの将軍アエティウスがフン族の傭兵を率いて、ウォルムスを占拠するブルグンド族を破る。その2年後の437年、フン族は単独でブルグンド族を攻め、この戦いでブルグンド族の王グンダハリ(=グンテル)が戦死する。
    • しかし、この戦いにアッティラ(=エッツェル)は関係していない。
  • 453年、フン族の大王アッティラゲルマン人の娘ヒルディコ(愛称ヒルト)と結婚したが、王は婚礼の夜血を吐いて死んだ。
    • ここから、ヒルディコはグンダハリの仇を討った、という話が生まれたらしい。ここからクリエムヒルトの原型が生まれた。しかし、この時点ではクリエムヒルトはグンナルの味方であった。
  • ジーフリトのモデルはフランク王国の分国アウストラシアの王シギベルトらしい。彼は575年暗殺された。彼の妃の名がブリュンヒルトであった。
    • しかし、ジギベルトはグンダハリより百年以上あとの人物であるので、グンダハリともアッティラとも関係がない。
    • ジギベルトは確かに暗殺されたが、それを計画したのは彼の兄弟の妻フレデゴントであってブリュンヒルトではない。
  • 脇役で後編に登場する「ディエトリーヒ王」のモデルは東ゴート王テオドリックだが、
    • 彼はアッティラの死後生まれているから、アッティラの宮廷に登場することはなく、シギベルトが生まれるまえに死んでいるからシギベルトとも関係がない。

ということで、この叙事詩の世界と歴史の世界はまったくかけ離れているのです。この叙事詩から何か史実を探り当てるのは断念したほうがよさそうです。


ところでこの本の感想なのですが、私は自分が優柔不断な人間なので、ここでの登場人物たちのように自分の激しい感情に従って行動する様には一種の爽快感を覚えます。もっとも彼ら彼女らはその代償として不幸な目に遭うのですが。

*1:ハゲネ