デジタル・ナルシス―――西垣 通

西垣 通氏の本に出合って驚倒したのはいつのことだったでしょうか? あれは確か「秘術としてのAI思考―太古と未来をつなぐ知」という本で、そこでは薔薇十字からAI(人工知能)までそれだけに留まらず、日本の江戸時代だったか(?)の戯作本まで出て来て、著者の幅広い知識に圧倒されてすぐに買ってしまいました。1996年ぐらいでしたでしょうか? この著者は何者?と思ってカバー裏に書かれた著者紹介を見たら日立の技術者(当時)だとのこと。こんな幅広い知識を持った技術者になりたいとその時、思いました。


この本は情報科学のパイオニアたちの評伝の形をとっています。ウィーナーを評価する人間を探していた私は(今も探していますが)この本のノイマンのところに

 足跡をしらべていくにつれ、ウィーナーという人物はますます大きくなってくる。巨人めいてくる。一方、ノイマンの個性はますます萎えしぼみ、凡庸なものに見えてくる。
 けれどもこのことから、ノイマンを語るに足らずと切りすてるならば大間違いである。「凡庸な器と非凡な能力」というアンバランスのゆえに、ノイマンは実に興味をそそる人物となるのだ。(強調著者)
 むしろウィーナーは、歴史上にあらわれた巨人族の一員にすぎない。


「デジタル・ナルシス」の「1 ゴーレムはよみがえった」より

と書かれているのを見て、即、買いました。


目次を以下に示します。目次から、どのような人物が取り上げられているか、と、それらの人物を料理するのにどのような味付けをしているか、が分かると思います。


この本では各人に一見異質な何かを対比することによって、その隠れた何かをあぶり出す手法を採っています。たとえば最初のノイマン(言わずと知れたコンピュータ建設者の一人)については次のようです。

 実際、ゴーレムはよみがえったのである。・・・・・
 そして彼等の頭目こそ、ユダヤ人の導師、現代コンピュータの鼻祖・・・・・ジョン・フォン・ノイマン(1903〜1957)にほかならない。

  • と話を進めます。
  • それから対比するためにノーバート・ウィーナーが登場します。
  • 次に登場するのが、通常、空想的社会主義者というレッテルを貼られている異端の思想家シャルル・フーリエ(1772〜1837)です。フーリエ理想社会を根拠づける奇想天外な論理とノイマンの駆使する緻密な論理が同質のもの(現実の豊饒さに目をそらした論理)であると著者は論じます。


他の人物についてもこのような異質の主題を拾い上げていくと

このように記述に導入される異質な何かの多くが文系的なものなのが著者の知的関心の広さを示していて魅力的です。


私はアラン・チューリングのところに登場したジャリを紹介する文章と、グレゴリー・ベイトソンのところに登場するゴンブロヴィッチの小説「コスモス」の不気味な内容の2つが印象に残りました。コスモスのほうは要約が難しいのでジャリのほうだけ紹介します。

 奇行という点にかけては、さすがのチューリングもこのジャリという人物には到底かなわない。チューリングが奇人なら、ジャリは怪人である。古今東西の技術や知識に通暁し、朝から晩まで浴びるように酒を飲みながらも決して酔わず、スポーツは万能、夜はほとんど眠らないで過ごし、常にスキャンダラスな噂に取り囲まれていたのがジャリである。この女嫌いのナルシストは、たんに物凄くエネルギッシュで精力無比だったばかりでない。その全てが、疲れを知らぬ<おそるべき機械>を彷彿とさせたのである。

こんな人物に出会ったら、圧倒されてしまうだろう。