海辺のカフカ(下)

読み終わりました。いくつか残念なことがありました。
まず、ナタカさんと主人公のカフカが出会わなかったこと。この2人が出会わないままだと、2人の物語の関連が薄くなってしまうような気がします。結局、「カフカ・佐伯さん」の話と、「ナカタさん・星野さん」の話はあまり融合出来てないと思います。ナカタさんと佐伯さんが会うところまでは行きましたが。
次に、ナカタさんが佐伯さんに「15歳の少年のかわりに、ひとりひとを殺した」と言っていること。ナカタさんに「15歳の少年のかわりに」という意識はなかったはずです。このセリフは破綻していると思いました。
それから、ナカタさんが死んでしまうこと。それはないだろう、ナタカさんはまだやることが残っているのに。私はナカタさんに共感して読んでいたのでした。


それから、共感したところ。終末近くの、時間のない世界に入り込んだカフカとその周りの描写。これは一種の臨死体験だと思う。

「君には記憶というものはある?」
 彼女はまた首を振る。(中略)
「私には記憶はない。時間が重要じゃないところでは、記憶もやはり重要ではないの。もちろん昨夜の記憶はあるわよ、私はあなたのためにここに来て、野菜のシチューをつくった。そしてあなたはそれをきれいに食べた。そうよね? その前の日のこともいくらかは覚えている。でもそれより前のこととなると、よくわからない。時間は私の中に溶けこんでしまっていて、ひとつのものと、そのとなりにあるものとの区別がつかなくなる」

なぜか私はそのような世界を知っていると思う。
しかしカフカは何のためにこの世界に入ったのか? そして成し遂げたことは何なのか? それがはっきりしません。母を許したことがそれに当るのか? そのためにはこの世界に入る必要があったのか? 私には彼はこの奇妙な世界では何もしていないと思う。私は彼は何かもっと別のことをすべきだったと思う、と同時に、この世界、時間の止まった世界に15歳の男女が暮らすというイメージに愛着も感じる。そこに留まっていたいとも思う。現実はそうはいかない。たとえ人間でない存在を恋したにしても(あるいは別の時代の誰かを恋したにしても)、自分だけはどんどん歳をとる。

  • ・・・・・それは「私の」物語。全然文学的ではないがとにかく私の物語・・・・・。


この物語のどこかを自分の物語のどこかに利用したい、という思いが起きました。