ノモンハン戦争

おもしろい本だった。著者は言語学者にしてモンゴル学者でもあるという。この本の特徴はノモンハン事件をモンゴル民族の立場から叙述していることだ。ノモンハン戦争(著者は「ノモンハン事件」とは呼ばず「ノモンハン戦争」と呼ぶ)の背景にはモンゴル民族の統一・独立への願いがあった。ノモンハン戦争をこういう立場で叙述された本をこれまで見たことがなかった。
そもそもモンゴル民族にとってノモンハンは従来、国境ではなかったという。国境のどちら側にも同じモンゴル民族が住んでいたという。

・・・・モンゴル人民共和国側の住民はハルハ族であり、満洲国側のモンゴル人はバルガ族と呼ばれる。・・・
 このハルハ族とバルガ族との部族的境界が、まずはモンゴル人民共和国の、次いで満洲国の出現によって国家の境界に変貌したのである。言い換えれば、族境国境へと転化し、分断された民族の間に生じた衝突がノモンハン戦争であり、ノモンハン戦争の舞台はそのような場所であったことを理解しておくことが重要である。


「第2章 満洲国の国境とホロンバイル」の「族境が国境になる」より


そして著者はノモンハン戦争以前にモンゴルと満洲国で繰り返された小規模な国境衝突が、実は国境の両側のモンゴル民族による、片方はソ連という、もう片方は日本という厳しい主人の目を盗んでの、接触の試みであった可能性を示唆する。

しかし、そのようなコミンテルンの指示からの「逸脱」は、死をもってあがなわれなければならないソ連への裏切り行為であった。


「第1章 「事件」か、「戦争」か」の「交渉のきっかけを求めて」より

この「死をもってあがなわれなければならない」というのは比喩ではなく、この本で詳述されているが、国の指導層を含む多くの人々が(戦争にではなく)殺されていった、という事実がある。その記述を読むと、モンゴル民族に課せられた20世紀の過酷な歴史に驚く。
もう片方の主人、日本にとっても、事柄は同じであった。

 しかし日本側とても、こうした満洲国とモンゴル人民共和国の交流が国境の両側に住むモンゴル族自身の願望にもとづいて行われることは断じて許さなかった。それを決定的に示したのが、ノモンハン戦争に至る道をどうにかして閉ざそうと尽力していた、興安北省*1省長という最高の地位にあるリンションを「通敵」のかどで、関東軍が捕らえて処刑してしまった事件である。・・・・
・・・1936年、ノモンハン戦争が発生する3年前のことである。満洲国のモンゴル人は、この瞬間に、日本への信頼をほぼ完全に失い、満洲国への忠誠心を捨てていた。


「第1章 「事件」か、「戦争」か」の「満洲国の正体」より


この本で知ったことは多くあるが、大きな点ではあと2つある。
1つは、当時のモンゴル人民共和国満洲国におとらず傀儡国家だったこと。もちろんソ連の傀儡である。その凄まじい弾圧の歴史はソ連が崩壊してやっと明らかになったという。
もう1つにはロシアには19世紀に発明された「汎モンゴリズム」という黄色人種に対する強迫観念がある、ということ。


そして何よりも国際政治の非情さが心に残った。それは政治家、軍人個人の資質の問題だけには還元され得ない、メカニズムとして非情さを生みだす何かがあるのだと思う。そしてそれは今も同じなのだろう。

*1:当時の満洲国の行政区