プルースト「失われた時を求めて――コンブレー」を読書中(2)

今日は80ページまで。今までの主人公の幼年期の回想は、実はこの小説の主題ではなく、それよりはるかに強力で価値の高い「想起」がこの小説の主題だったのでした。それが有名な「プチット・マドレーヌ(という菓子)を食べた時に現れた回想」でした。

人々が死に、さまざまな物が崩壊したあとに、存続するものが何もなくても、ただ匂と味だけは、かよわくはあるが、もっと根強く、もっと形なく、もっと消えずに、もっと忠実に、魂のように、ずっと長いあいだ残っていて、他のすべてのものの廃墟の上に、思いうかべ、待ちうけ、希望し、匂と味のほとんど感知されないほどのわずかなしずくの上に、たわむことなくささえるのだ、回想の巨大な建築を。
 そして私が、ぼだい樹花を煎じたものにひたして叔母が出してくれたマドレーヌのかけらの味覚だと気づいたとたんに、たちまち、表通に面していてそこに叔母の部屋があった灰色の古い家が、芝居の舞台装置のようにあらわれて、それの背後に、庭に面して、私の両親のために建てられていた、小さな別棟につながった、そしてこの母屋とともに、朝から晩にいたるあらゆる天候のもとにおける町が、昼食までに私がよく送りだされた広場が、私がお使にいった通が、天気のいいときにみんなで足をのばした道筋が、あらわれた。・・・・形態をそなえ堅牢性をもつそうしたすべてが・・・私の一杯の紅茶から出てきたのである。

これは早々ときたひとつのクレシェントですね。こうしてこれからもっと詳細に主人公の少年時代の、コンブレーという土地での体験の回想がほとばしり出るのでした。それは今までの幼年期よりはもう少し年がたった、少年時代のようです。