紫禁城の黄昏 完訳版

きのう図書館から借りてきました。このレジナルド・ジョンストンの紫禁城の黄昏は、自分がラストエンペラー宣統帝溥儀の少年時代の家庭教師として溥儀の側にいた体験を記したもので、現代史を知る上でなかなかおもしろい本です。原著は1934年に発行されたので、まだ第二次世界大戦の前であり、まだ満州国も悪者にはなっていなかった頃です。この本の和訳としては岩波文庫から下記

が発刊されていますが、これは原著のかなりの部分を省略したものでした。そのことは岩波版の「あとがき」で触れられています。

 おわりに本書の構成について一言記しておきたい。原著は本文二十五章のほか、序章、終章、注を含む大冊であるが、本訳書では主観的な色彩の強い前史的部分である第一〜十章と第十六章「王政復古派の希望と夢」を省き、また序章の一部を省略した。


岩波版「紫禁城の黄昏」の「夢の継承〜あとがきにかえて〜」より


これに噛み付いたのが渡辺昇一氏です。この完訳版の(上)の「監修者まえがき」に氏の見解が書かれています。

 ところがこの文庫本は、原書の第一章から第十章までと、第十六章を全部省略しているのだ。その理由として役者たちは「主観的な色彩の強い前史的部分」(傍点・渡辺)だからだという。
 この部分のどこが主観的というのか。清朝を建国したのが満州族であることの、どこが主観的なのか。・・・・・
 また岩波文庫では、序章の一部を虫が喰ったように省略している。そこを原本に当たってみると、それは溥儀に忠義だった清朝の人の名前が出てくるところである。
 つまり岩波文庫訳は、中華人民共和国国益、あるいは建て前に反しないようにという配慮から、重要部分を勝手に削除した非良心的な刊本であり、岩波文庫の名誉を害するものであると言ってよい。


祥伝社版「紫禁城の黄昏(上)」の「監修者まえがき」より


この渡辺氏の主張は前から知っていたので、一度、この本を読まなければ、と思っていましたが、今まで、借りる機会を逸していました。


今回借りて読み始めたら上述の「監修者まえがき」の冒頭に

紫禁城の黄昏』が、極東軍事裁判東京裁判)に証拠書類として採用されていたら、あのような裁判は成立しなかったであろう。

とまで書かれていました。さて、本当にそうなのかどうか、私はそこのところに興味をもって読み始めました。まだ、少ししか読んでいないので私にはその判断が出来ません。しかし、序章を読んで岩波版と対比したところ、原著で康有為と著者が出会ったことについての記述が、岩波版では省略されていることに気づきました。しかも、そこに省略がある、ということさえ記述していないのです。私は、これはルール違反で、せめて「(中略)」とでも記すべきだった、と思います。この点は渡辺氏の批判が当たっているでしょう。しかしそれが「中華人民共和国国益、あるいは建て前に反しないようにという配慮」のせいなのかどうかは私には判断出来ません。


私はまだ「第三章 反動と義和団運動、一八九八年〜一九○一年」までしか読んでいませんが、岩波版で省略された部分が読んで非常におもしろい部分である、ということは言えます。