石原莞爾

満洲事変とか満洲国というのは私にとって長年の謎です。ここにはまだ解明されていないことがいろいろあるような気がしてしょうがないのです。戦後に生れた私たちから見ると満洲事変は敗戦につながる一連の出来事の発端に見えるのですが、あるいはあれ以外の歴史の流れもあったのではないか、と思ったりします。最初から敗戦を予見して事を進めた人々はほとんどいなかっただろうし、だとすれば満州事変を押し進めた人々のどこが計算違いだったのか、それはどうすれば防げたのか、という疑問が沸きます。それは「侵略はいけません!」という話とは別だと思うのです。私は侵略を肯定するつもりはありませんが。


さてこの本ですが、何回か読んだはずなのに記憶にあまり残っていません。実はこの本の一番よい箇所は村松剛氏による「解説」ではないか、と思っています。そこには石原莞爾の思想と当時の国際環境が明快に解説されています。ところで、この本には著者自身が登場します。

 青江舜二郎氏は石原莞爾の生涯をえがいたこの本のなかに、島という名まえで自分自身を登場させている。
 氏の本名、大嶋長三郎の一字をとって、島という名にしたらしい。いわば劇中に自分を、変名で書込んだ恰好である。自分の姿を客体化して、作品に立体性をもたせようとしたのだろうか。もしもそうだとしたら、作者の意図は必ずしも達成されているとはいえない。むしろ「私が」と名乗ってその大陸での経験を織り込んだ方が、臨場感がたかまったのではないかという気がする。


石原莞爾」の村松剛氏による「解説」より

残念ながら、この批判は当たっていると私は感じます。

 本書の最終章「結後誦」は、昭和二十四年まで続行された山西省の戦いの物語である。師団規模の日本軍が閻錫山の懇願に応じて山西省に残り、士官学校をもうけ火砲の工場をつくって中共軍と戦いつづけた・・・(中略)
 敗戦後も山西省で戦った日本の将兵に、青江氏は民族協和の夢の最後の開花を見ている。山西省の戦いがおわった昭和二十四年に、石原莞爾は死んだ。
(中略)
 青江氏もまた、大陸を愛したひとりだった。この本は氏自身が一時期は奉じていたらしい民族協和の夢への鎮魂の譜、という趣きを呈している。それが本書の、もっとも魅力に富んだ部分だろう。


石原莞爾」の村松剛氏による「解説」より

山西省の戦いのことはあまり知りません。これは調べてみる必要がありそうです。著者の青江氏は、同時代を戦場に生きた人ですので、この本の資料としての価値は高いと思います。あまり正史に登場しない歴史の一面が見えるように思います。しかし、私はよく読みこなしていないので、その姿がおぼろげにしか分かりません。


この本には、満州事変に期待し、新しい国を希望に満ちたものにするために立ち上がった人びとの自発的な運動についても書かれています。しかし、それらは満州国が出来てしばらくすると役人たちに乗っ取られてしまいます。

協和会がようやく”歩き出した”と見られたが、山口、小沢にとっては”その官僚化”によって、協和会はすでに変身させられ、形態だけは大きくなってゆくが、真の生命は、もはや滅びたとせねばならなかった。覚めれば、まさに一場の幻夢――


石原莞爾」の「第五章 夢幻楽土」より

この場面は、「キメラ 満洲国の肖像」

に登場する以下の記述を思い出させました。

満洲国は血と恐怖を代償としながらも、さまざまな人々の多種多様な夢を揺籃として育つはずであった。しかし、打算は夢を駆逐し、利害は希望を打ち砕いていく。建国理念はただ現実を糊塗し、隠蔽するだけの機能しか持ちえなくなる。人々は満洲国にかけた夢が幻想であったことにいやおうなく気づかされ、それがそもそも自分の掌中になどなかったことをしたたかに思い知らされることとなった。

「それがそもそも自分の掌中になどなかったことをしたたかに思い知らされる」 おそらくそのような思いがあの頃の多くの人びとを捉えたのでしょう。そしてこの本の著者もまた、その中のひとりだったのでしょう。