紫禁城の黄昏 完訳版(その2)

この本を読んでいて、当時の日本人が今の中国東北部を侵略してもそれほど異としなかったのは、つまり、もともとあそこは自分たちのものだとぼんやり感じていたのは、このような認識があったからなのか、と納得するような記述に出会いました。

(ロシアは)無理やり日本からシナに返還させた領土*1を自ら占領しただけでなく、満洲全土においても、ロシアの軍事的地位をすこぶる強固なものにしたのである。その結果、ロシアはあの満洲王朝の先祖伝来の土地における支配的勢力にのしあがったのだ。
 1898年当時、満洲に住んでいた英国の商人たちは、「まさに目の前で現実のものとなってゆくロシアの実質的な満洲併合」について語っている。英国の宣教師の指導者も「私のみならず、私のもとで働くどの宣教師も口をそろえ、満洲とは名前だけで、ことごとくロシアのものと思われると明言した」のである。
 これは、眼前にある今の*2満洲問題の背景を理解しようとする者なら、絶対に忘れてはならない事実である。シナの人びとは、満洲の領土からロシア勢力を駆逐するために、いかなる種類の行動をも、まったく取ろうとはしなかった。
 もし日本が、1904年から1905年にかけての日露戦争で、ロシア軍と戦い、これを打ち破らなかったならば、遼東半島のみならず、満洲全土も、そしてその名前までも、今日のロシアの一部となっていたことは、まったく疑う余地のない事実である。


紫禁城の黄昏」の「第一章 1898年の改革運動」より

そのときまで満洲は、満洲王朝*3の祖国であり、常に皇帝直轄の軍人総督によって支配されてきた。
 これとの関連で想起すべきは、いわゆるシナ帝国は、実際のところ(1644年以来そうだったのだが)満洲帝国だということである。・・・・・・
 1907年、満洲は行政上の目的のために、初めてシナ本土諸州の方針に従うようになった。そして、その広大な地域への漢人の移民入国制限を最終的に撤廃したのも、ようやくこの頃になってからのことだった。・・・・・・
 また日露戦争後に、満洲の地位が変化したことにも注意をしておく必要がある。その戦争の結果、遼東半島(旅順と大連)と南満洲からロシア軍が撤退し、これらの地域でのロシアの権益が日本に譲渡されたのである。
 さらに思い出すだろうが、満洲は早くも1898年からすでに「地名以外は完全にロシアの領土」となっていて(満洲在住の英国人の話によれば)、1900年には、満洲を掌握したロシア勢力があまりにも増強されていたので、シナは東三省を「完全に失った」とあるシナの歴史家が漏らしたほどだった。
 日本は、1904年から1905年、満洲本土を戦場とした日露戦争で勝利した後、その戦争でロシアから勝ち取った権益や特権は保持したものの、(それらの権益や特権に従属する)満洲の東三省は、その領土をロシアにもぎ取られた政府の手に返してやったのである。その政府とは、いうまでもなく満洲王朝の政府である。


紫禁城の黄昏」の「第四章 光緒帝の晩年 1901年〜1908年」より


ここからは私の想像ですが、戦前の日本には以下のような論拠があったのでしょう。

  • 清朝は中国(この本の訳者は「シナ」と訳していますが)とは同一ではない。清朝満洲(東三省)を故地とする満州族である。
  • 満洲に中国人(漢民族)が移住し始めたのは最近のことである。
  • 満洲はほとんどロシア領になっていたが、日露戦争の結果、その権利の大部分は日本に移った。
  • 日本は満洲の領土を清朝に返してやったが、清朝中華民国は異なるので中華民国がそこの領有を主張は出来ない。
  • 清朝が滅んだので満洲は「準」日本領である。


私はこれらの論拠が全て正しいと言っているのではありません。このように考えてみると戦前の日本の態度も少し理解し易くなる、と言いたいだけです。そして歴史にはさまざまな主張、論拠があるということです。
 上の論拠に対しては逆にこんな疑問も出てきます。

  • 清朝満州族であってもほぼ漢民族に同化したのではないか? だいたい清朝の統治組織そのものが漢民族の伝統に則ったものではないか?
  • 民族というものは固定したものか? 漢民族は歴史的にさまざまな他民族を同化して大きくなってきたのではないか?
  • 中華民国が成立した際、清朝満洲の領有権を主張しなかったのではないか?


また、こんなことを読んだ記憶があります。

  • 満州事変を起こした石原莞爾は当初、満洲の日本領有をたくらんでいたのであって、清朝の後継国家を建設するつもりはなかった。独立国家にしたのは、日本の陸軍の中央部が領有案に難色を示したからだった。独立国家に決まったあとでも元首を誰にするかで議論があった。最初から溥儀を持ってくるつもりではなかった。


歴史は難しい・・・・。

*1:旅順と大連のこと

*2:この本が刊行されたのは1934年

*3:清朝