法則通りに・・・

「キメラ 満洲国の肖像」からは、次の箇所も引用しておきたいです。

日本人官吏の中には建国の当時にあっては、王道主義を基調とし一種の理想を以て新機軸を有する国家をば建設せんとする運動があった。然るに理想主義の支持者たりし大雄峯会系の官吏は去る五月の・・・・・(五字分削除。五・一五事件、か)によって失脚せしめられた。理想主義者は今では日陰者だ。そして帝国主義時代を示す過程が法則通りに進行している。それを見るのは近世植民政策の科学的研究者としての私の学問的満足であった。(「満洲見聞談」『改造』1932年11月号)

 東京帝国大学植民政策学の教授であった矢内原忠雄。彼が洞察したように、世界政治における模範性と新機軸を打ち出したと標榜したはずの満洲国でもまた”帝国主義時代を示す過程が法則通りに進行していた”のである。いかに高遠な理想を掲げようとも、植民地は植民地としての法則にしたがって収奪の対象としてしか扱われない、というのが彼の植民政策の科学的研究が教える現実であり、満洲国もその法則の例外ではありえなかったと矢内原は看て取ったのである。


「キメラ 満洲国の肖像」の「第四章 経邦の長策は常に日本帝国と協力同心」より


私が石原莞爾をそれほど評価出来ないのは、軍事上の目覚しい成功にもかかわらず、自分が約束したことを実現するだけの力量がなかったことです。それは冷厳な法則(政治・社会については、自然法則のような冷厳な法則など存在しない、という反論もそれなりに正当性はあるとは感じますが)に対する認識の甘さに起因していると思います。