ローマは1日にして滅びず(9)

紀元1204年 ゴート族のドナウ渡河から826年

コンスタンティノープル陥落

1204年、コンスタンティノープルは第4回十字軍将兵によって占領されます。彼らは自分たちのなかからフランドル*1伯ボードゥアン9世を皇帝に選出してラテン帝国をここに建てます。何でこんなことになったのでしょう? なぜ、イスラムと戦うことを旨とする十字軍が同じキリスト教徒のローマ帝国を占領したのでしょうか? 時間をさかのぼって振り返ってみます。


マヌエル1世は38年間、皇帝の座にありましたが、その後の皇帝たちは皆、短命政権でした。統治期間を順に並べていきますと、マヌエル1世のあとは、3年、2年、10年、8年、1年、0年、0年、です。最後のコンスタンティノス11世ラスカリスに至っては1日だけの皇帝でした*2。お金がないから政情不安で短命なのか、政情不安だからお金が出て行くのか、この間、お金も領土もどんどん出て行っていきました。おまけにクーデタは何回も起きます。多数登場するローマ皇帝の名前をいちいち出すのも面倒なので、とかとか呼んで話を進めます。


8年統治したに対してがクーデタを起こし、を捕らえ、目をつぶして幽閉したうえで、自分が皇帝になります。には息子(つまりにとっては)もいましたが、これも一緒に捕らえます。新しい皇帝はこの甥をしばらくして釈放して自分の手元においておきました。しかし、この甥は脱走して西欧に逃亡します。折から西欧ではローマ法王インノケティウス3世の提唱による第4回の十字軍が組織されつつありましたが、資金不足で出立できない状態でした。そこで、十字軍の海上輸送を請け負っていたヴェネツィアがこんな協定を提案をします。この甥ローマ皇帝即位を軍事的に援助する代わりに、この甥がめでたく皇帝になったらすぐに、十字軍に対して聖地に向かうための資金を支払う。十字軍側もこの甥もこの提案に乗りました。西欧人たちは、よもやローマ帝国に金がないとは思わなかったのです。そしてこの甥は十字軍将兵ヴェネツィア艦隊とともにコンスタンティノープルに戻ってきました。ヴェネツィア艦隊による海からの猛攻を受けて、皇帝()は、財産宝石を詰めて逃亡しました。逃亡する前に「兄さん、今日からあなたが皇帝です」と言って・・・。盲目になったのほうは、息子が十字軍とともに来ていると聞いて面会を求めます。しかし十字軍側は、金の支払いを約束しない限り、親子の再会を許しませんでした。は支払いを約束して息子と再会し、父子で共同で皇帝に即位しました。


最初の頃は十字軍側にお金を支払っていたのですが、ないものは、どうやってもないものなので、そのうちに支払いが滞ります。一方、コンスタンティノープル市民は、この西からやってきた粗野で狂信的な十字軍兵士の振る舞いに、次第に不満を募らせました。その上、自分たちの皇帝がこの十字軍に巨額の負債を持っていると分かると、またしてもクーデタを起こし、別の人間を皇帝に担ぎ上げて、この父子を殺害してしまいます。これを見ていた十字軍側は、待っていても金は支払われない、と悟り、コンスタンティノープル占領を考えます。新しい皇帝は、皇帝になったものの状況の絶望的なことがだんだん分かってきて逃亡します。そして市民はまた新しい皇帝を選出するのですが、十字軍の攻撃を受けて翌日にはこれも逃亡し、コンスタンティノープルはとうとう占領されてしまうのでした。ここにローマ帝国は滅びました。十字軍という債権者団体に差し押さえられたわけです。


・・・・・ところが、それでもローマは滅びない。滅んだけれども滅ばない、というのは、この新しく出来た十字軍のラテン帝国も57年で滅び、ローマ帝国が再建されるからです。


その話はまたの機会として、最後に、さきほど登場した1日だけの皇帝、コンスタンティノス11世ラスカリスの選出の模様をご紹介します。以下は、渡辺金一氏の「コンスタンティノープル千年」に引用されている同時代の歴史家ニケタス・ホニアテスの文章です。

「皇帝がこうして逃亡したあと、分別あり、快活で、戦いに長けた二人の若者が相並んであらわれた。その一人はドゥカス家、もう一人はラスカリス家に属する者だったが、洗礼名は二人とも、初代キリスト教皇帝と同名のコンスタンティノスであった。かれらは、嵐に見舞われた舟も同然の国家の舵をめぐって互いに争い、そのさい、この世の最も崇高かつ光輝ある財産、ローマ皇帝権を、盲目の運命によってもてあそばれ、そのなすがままに委ねられているすごろくとみなし、そろって聖ソフィア大教会に入って、その争奪戦をくりひろげた。だが優劣はつかず、両者は同格であることが判明し、どちらかに軍配をあげるような者は誰一人いなかったので、くじびきがおこなわれることになり、ラスカリスが最高の地位をひき当てた。」


渡辺金一著「コンスタンティノープル千年」より

とうとう皇帝がくじで決められる状況にまで至ったのでした。そういえば日本にも、くじ引きで将軍になった、足利義教という人がいましたね。

*1:ベルギーあたりの地域

*2:この人を皇帝と認めない学者もいます