紅葉にかこつけた妄想

11月23日は勤労感謝の日で休日でした。その日の午後、私は思い立って五十鈴川の上流へ行ったら美しい紅葉が見れるんじゃなかろうかと、自転車に乗ってそちらに向かいました。もう4時頃だったと思います。すでに山あいでは日の光が薄らいでいました。ですから、紅葉と言っても色あざやかではないのですが・・・・。山の谷間を流れるいくつかの小川のひとつの傍らに、小川に沿うようにして黄色や赤の木々が、あわく輝きながら、日本人好みの適度に不規則な感じでただずんでいるのを見た時に、
「泣いてもいいか?・・・・」
と自分に問いかけていました。



ところが、またしてもその時にカメラを持っておりませんでした。シャッターチャンスを逃してしまったのです。私がその時、考えたのは
「飲もっ!」
でした。このような景色を頭の中で反芻しながらお酒を飲みたいなあ、と思ったのです。


ところが、その日のニュースで、例の北朝鮮のヨンビョン島への砲撃のニュースを知って、その興が醒めてしまいました。



そのニュースを聞くまで私が想像していたのは、その小川を上っていくと、琵琶の音が聞える、というものです。ちょうど、少し前に神宮徴古館で琵琶の展示を見たことが影響しているのかもしれません。そして琵琶と琴の音が・・・・。その音の鳴るほうを訪ねてみると、古風な屋敷があり、そこに十二単をまとったティーンエージャーの姉妹が2人、琴と琵琶を演奏しています。

「扇でなく、この撥でも月は招けるのでしたわ」


琵琶の撥を手にした幼いほうの姫が言います。今はまだ日が照っていて、月など見えないのに妙なことを言う、と思っていると姉のほうが

「撥で入り日を招き返したという話は聞いたことがありますけれど・・・」


と、上品に微笑んでいます。私は「ああ、この人たちと私とは生きている時間が違うんだ」と妙に納得しました。きっと彼女たちからは私は見えないのでしょう。

「琵琶の撥を納めるところは隠月といいますもの。まんざら月と縁のないものでもございますまい。」


と妹はちょっと才気を見せますが、その様子もかわらしいです*1




その後、週末はいろいろ忙しくて、なかなかその小川を再訪する機会に恵まれませんでした。やっとこの前の日曜日に訪れたのですが、すでにあの時の、何とも言えない色合いは消えてなくなっていました。この時はカメラを持っていろいろと写したのですが、あまり気に入った写真がありません。ここに載せたのは、その中でもまあまあと思ったものです。








*1:源氏物語。橋姫。訳は円地文子さんです