三島由紀夫おぼえがき

私は三島由紀夫のよい読者でもなく澁澤龍彦のよい読者でもないので、この本を正当に紹介出来るとも思えないのですが、何となく捨てることが出来ず、今も私の本棚にある本です。三島の友人の一人であったフランス文学者澁澤龍彦の三島に関するエッセイ集です。三島事件の前のエッセイも後のエッセイも収録されています。おそらく著者にはその間の感情的な起伏も多く、これだけのエッセイを一つの本に収録するには時間の経過が必要だっただろうと推測します。文庫版あとがきにはこんな一節もあります。

(三島の)死の直後に書かれた文章の悲憤慷慨調は、いま読みかえしてみると、なんとも面映い。それでも、そういう時期を通過することが私には必要だったのだと考えるほかはないだろう。

その「悲憤慷慨調」というのは、おそらく「絶対を垣間見んとして・・・・・・」という題のエッセイを指していると思われますが、その冒頭は(少なくとも私には)非常に印象深い記述です。

 荷風散人が市川の陋巷に窮死したとき、石川淳氏の書いた「敗荷落日」という文章は、私にとっていまだに忘れがたい文章となっている。(中略)
 すでに精神がもぬけの殻となっていたと断ずる老荷風の屍に、石川氏のふるう批判の鞭は苛烈をきわめていた。この鞭は、しかしまた同時に、ただちに我が身にはね返ってくる鞭でもあった。精神と精神との対決という場以外においては、文学者が文学者の死を批判する権利はまったくないのだということを、私は石川氏の文章により、ほとんど目のさめる思いで知らされたのである。

私は引用していて、ある種のすがすがしさを感じます。
ところで、著者の澁澤龍彦氏が「なんとも面映い」「悲憤慷慨調」と言っているのはこのエッセイの最後の個所だと私は推測します。

 絶対と相対、生と死、精神と肉体、理性と狂気、絶望と快楽などの観念を表裏一体とするきびしい二元論に生き、絶対を垣間見んとして果敢に死んだ日本の天才作家、三島由紀夫の魂魄よ、安んじて眠れかし。

このような記述は、三島事件の著者への深甚な影響を推測させます。


三島事件から6年たった「三島由紀夫おぼえがき」という(この本のタイトルと同じ)エッセイには、もう少し距離をおいた、以下のような記述があります。

 もとより三島氏は特殊な感覚、特殊な嗜好、特殊な信念、特殊な哲学をいだいていたひとである。存在の確証が、ただ存在の破壊された瞬間、死の瞬間のみによって保障されるだろうという哲学は、少なくとも万人向けの哲学ではないし、何よりもまず検証不可能な哲学と言わねばならぬ。ぎりぎりのところは神秘主義と呼ぶほかないだろう。(中略)
 要するに三島は死んだ。その余は文学のみだ。


どのエッセイ、あるいは対談記録、からも立ち昇ってくるのは、著者の、三島氏に対する深い敬愛の念です。それにしても私は・・・・澁澤氏ももういない、年をとるというのは、こういうことか、と、一種の、呆然とした思いに襲われます。