敗走者ヨヴィアヌス

これは「背教者ユリアヌス」のもじり。
ユリアヌス亡き後、戦場に残った軍隊は次の皇帝を決めなければなりませんでした。ユリアヌスには親族もおらず、ユリアヌス自身が後継者を遺言していなかったため、軍隊内で合議して決めることになったのですが、その時選出されたのが親衛隊の幹部だったヨヴィアヌスでした。このヨヴィアヌス、名前がユリアヌスに似ているので兵士たちはユリアヌスが再起したのかと勘違いして喜んだのですが、近づいてきたのが別人だったので、かえって悲嘆にくれた、という逸話が残っています。しかもこの時は軍は退却しようとしていました。新皇帝は兵士たちに顔みせして歓呼の声を受ける決まりになっていたために、ヨヴィアヌスは退却準備完了して整列した軍列を閲兵したのです。彼はペルシアと屈辱的な講和条約を結んで軍を退却させます。しかもコンスタンティノープルに帰還する前に急死してしまいます。まったくかっこ悪く、また不運極まりない皇帝です。


この人を「敗走者ヨヴィアヌス」と名づけたのは、私のような私ではないような・・・・・昭和末期のことです。


ヨウィアヌス――Wikipedia


ところでこのヨヴィアヌスの急死を受けて次に選出されたのがヴァレンティニアーヌスで、その共同皇帝になったのが弟のヴァレンス帝です。このヴァレンス帝がのちにハドリアノポリスでゴート軍に負けて戦死します。ということでこの話は「ローマは1日にして滅びず(1)」に続きます。