天火明命(あめのほあかりのみこと)(5)

天の火明の命が天降りした山を探すヒントは、先代旧事本紀に載っている尾張の連(むらじ)の系譜にありました。先代旧事本紀は、日本書紀と同じように天の火明の命の息子のひとりに天の香語山(カゴヤマ)の命を挙げていますが、先代旧事本紀では天の香語山の命の別名を高倉下(タカクラジ)の命としています。この高倉下の命は古事記日本書紀に登場しますが、それが天の香語山の命と同一人物ならぬ同一神であるとは書いていません。この高倉下の命は神武天皇の軍が大和へ攻め上る際(神武東征ですね)、紀伊半島は熊野で悪神の大熊によって毒気をかけられて倒れ伏した時に、霊剣フツのミタマを持ってその毒気を祓った神です。この高倉下の命と天の香語山の命が同じ神である、というのは先代旧事本紀だけが語る話であり、どうも先代旧事本紀の創作のような気がします。神武天皇の最終の敵は大和のトミのナガスネ彦であり、そのナガスネ彦の妹を娶っているのが天の火明の命であるのに、天の火明の命の子供が神武天皇に味方するのはおかしいからです。
しかし、天の香語山の命はどうして高倉下の命と同一視されたのでしょうか? 何か類似点がないと読む人が信じません。私は天の香語山の命の別名が高倉下の命と似た名前であったのではないか、と推測しました。


実は尾張の国は名古屋にも高倉下の命を祭る古い神社があります。熱田神宮の摂社である高座結御子(たかくらむすびみこ)神社です。ここから私は高座結御子というのが天の香語山の命の別名だと推測しました。するともうひとつ別な連想が働きました。「天火明命(あめのほあかりのみこと)(4)」では尾張の古代の古墳がその位置によって3グループに分かれることを述べましたが、そのうち庄内川流域の古墳群(愛知県春日井市名古屋市北区守山区にあります)の東側に高座(たかくら)山という山(愛知県春日井市)があるのです。

大きな地図で見る
私は、庄内川流域の古墳群が尾張氏のものであり、彼らはのちに沿岸部に移住して行ったのではあるが、この古墳群のあたりに居住していた頃には高座山を神奈備(かんなび)山として崇めていたのではないか、と想像しました。高座(たかくら)はおそらく稲穂を貯蔵する倉でしょう。そして、結(むすび)というのはカムムスヒの命の「ムスヒ」と同じでしょう。命を生み出す不思議な力です。高座にいる御子はおそらく稲霊(いなだま)の一種でしょう。その高座結御子の命の住まわれる山、それがこの高座山ではないか、と。

私はさらに、この高座山に天の火明の命が降ったと想像しました。そして稲穂を投げ上げて空を明るくし、ここからこの地方の稲作が始まったのです。そしてその子孫は高座山に住まう天の火明の命と高座結御子の命(=天の香語山の命)を礼拝し、豊作を祈ってきたのだと・・・・・。


残念ながら現代の高座山の大部分は航空自衛隊高蔵寺分屯基地になっていて近づくことが出来ません。しかし、この山のふもと、庄内川のほとりには(瀬戸市)鹿乗町というところがあり、「天香語山命が高蔵山まで来たときに白鹿が現れ、命はこれに乗って玉野川(庄内川)を渡った」という伝説が残っています。私はこのことを「日本の聖地・中部篇」とかいう本(読んだのが随分前で本の名前の記憶があいまいです)の「尾張戸(おわりべ)神社」の項で見つけました。