昨日書いた「佐美長神社」の記述の補足です。佐美長神社そのものの説明ではありませんので、そのようなものを期待される方は以下を読む必要はありません。
ヒナガ姫
古事記でヒナガ姫が登場する場面を抜き書きしておきます。
垂仁天皇の御子のホムチワケのミコトはヒゲが生える年頃になっても物を言うことが出来ませんでした。それが、父天皇の夢に表われた出雲の大神の教えによって、御子を出雲に送って大神をお祭したところ、御子は物を言うことが出来るようになりました。ヒナガ姫はこのあと唐突に登場します。
そこでその御子(ホムチワケ)が一夜ヒナガ姫と結婚なさいました。その時に嬢子を伺(のぞ)いて御覧になると大蛇でした。そこで見ておそれてにげました。ここにそのヒナガ姫は心憂く思って、海上を光(て)らして船に乗って追って来るのでいよいよおそれられて、山の峠から御船を引き越させて*1逃げて上っておいでになりました。
「古事記」より
(ただし原文では「肥長比売」とあるのを「ヒナガ姫」と書き換えました。)古事記―付現代語訳・語句索引・歌謡各句索引 (角川ソフィア文庫 (SP1))
- 作者: 武田祐吉
- 出版社/メーカー: 角川学芸出版
- 発売日: 1977/08
- メディア: 文庫
- 購入: 2人 クリック: 5回
- この商品を含むブログ (8件) を見る
船に乗って光を出しながら追っかけてくるところ、何となく古代エジプトの壁画に出てきそう・・・・。
彼らは朝廷に鯛やあわびや海老、カニ、ワカメなどの海産物を供給していましたが、・・・
このことを空想していた時、頭にあったのは古事記のこの場面です。これも前掲書から
宇受売(ウヅメ)の命(みこと)は猿田比古(サルタヒコ)の神を送ってからかえって来て、ことごとく大小様々の魚どもを集めて、「お前たちは天の神の御子にお仕え申し上げるか、どうですか」と問う時に、魚どもは皆「お仕え申しましょう」と申しました中に海鼠(なまこ)だけが申しませんでした。そこで宇受売の命が海鼠に言うには、「この口は返事をしない口か」と言って小刀でその口を裂きました。それで今でも海鼠の口は裂けております。かようの次第で、御世ごとに志摩の国から魚類の貢物をたてまつる時に猿女(サルメ)の君*2らに下されるのです。
ナマコの一件はよくある起源説話であって、それがここに紛れ込んだのでしょう。最後のほうに「志摩の国から魚類の貢物をたてまつる時に」とありますから、この話の舞台は志摩地方です。「魚どもは皆『お仕え申しましょう』と申しました」というのは、要するに天皇のための食材になりましょう、という意味で、本来なら魚にとって迷惑な話ですが、古代天皇制下の人々の意識では、魚がこんなことを言ってもそれほど違和感がなかったのでしょう。
ところで、私はこの発言は魚が言っているのではなくて、志摩の豪族たちが朝廷に「海産物を供給して差し上げましょう」と言っていることの説話化したものだと思います。そして、これは神代の昔の話ではなくて実は起源は紀元500年頃、継体天皇の時代の出来事ではなかったか、と思っています。
彼らは同時に水軍でもあり・・・・
これも私の空想ですが、全然根拠がないわけではなく、松阪の古墳からは堂々とした船の形をした埴輪が出ているのです。以前、これを松阪市文化財センターの「はにわ館」で自分の眼で見た時に、このあたりを根拠地とする古代の水軍の姿が思い浮かんだのでした。
- 下記写真は松阪市ホームページよりのもの
写真では大きさが分からないと思いますが全長140cmの堂々たる埴輪です。
松阪は古代では伊勢の国の領域内であって志摩の国ではないのですが、だいたいこのあたり一帯に水軍があったと考えればよろしいのではないか、と思います。また、時代が下りますが戦国時代には鳥羽には九鬼水軍というのがありました。鳥羽は志摩の国の領域内です。