三輪山 纒向(まきむく)(4)


箸墓に向かいます。祟神天皇の父の叔母にあたる倭迹迹日百襲媛(ヤマト・トトヒ・モモソ姫)の墓です。神話では大神(おおみわ)神社の神、オオモノヌシの命の妻でした。



皇族の墓ということで宮内庁管轄。立ち入り禁止です。私は一般人の立ち入り禁止(あるいは制限)には賛成ですが、考古学的調査は許してもらいたい、と思います。



箸墓と三輪山のツーショット。左の背景に少し写っているのが三輪山です。日本書紀の祟神天皇の条には「この墓は昼は人が作り、夜は神が作った。大坂山(二上山)の石を、人を並べて手渡しで運んで作った」と書かれてあります。ヤマト・トトヒ・モモソ姫は神の妻であることや、予言をしたという伝説があることから、また、箸墓の考古学的な知見から卑弥呼の時代の終わり頃に作られた(ただし異論あり)と推定されることから、ここが卑弥呼の墓であるという説が生れています。(Wikipedia 卑弥呼=倭迹迹日百襲媛命説参照) 日本の国家の始まりのドラマを秘めた場所です。



この箸墓のすぐ近くにきれいな建物があって、「三輪そうめん 山本 本店」とあります。ご自由に中に御入り下さい、とあります。日差しも暑く、歩き疲れたので中に入ってみたら、これが正解でした。ここでそうめんを頂くことが出来ました。



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そうめんと柿の葉寿司のセット 800円。おいしゅうございました。

この本店の中ではそうめんを売っているだけではなく、私が目指していた纒向(まきむく)遺跡(紀元3世紀(卑弥呼の時代の頃)の都市の遺跡)についての展示もありました。そこにあった地図で見ると纒向(まきむく)遺跡はもう少し北(近鉄桜井駅とは反対方向)にあることが分かりました。しかし、そろそろ帰る時刻が気になりだしたので、ここへは次回行くことにして、ここでは「纒向へ行こう!−初期ヤマト政権発祥の地を歩く−」という桜井市埋蔵文化財センター発行の200円の遺跡ガイドマップを買いました。次回は、これを見て行先を検討してから訪れようと思います。



桜井駅に戻る途中に見つけました。電車の時刻は気になるがこれは見ないわけにはいかんだろう。


私が見たかった遺跡の模型がありました。紀元3世紀頃の建物群です。宮殿ではないかと推定されています。きっと現地にいっても何もない(あっても柱のあった跡のくぼみぐらい)だろうと思います。でも、次回は現地に行くつもりです。この展示室の別の展示では、この時代の遺跡から「聖なる水」の祭りをした形跡があることを説明していました。三輪山のオオモノヌシは蛇体の神であると伝えられておりますが、蛇は水に関係します。また、オオモノヌシは酒の神でもあります。「聖なる水」と酒の関係も気になります。また、この宮殿と山と古墳群の位置関係も気になります。どうも宮殿を中心にして東に神の世界(三輪山)、西に死者の世界(古墳群)、という世界観があったように伺えます。


このあと、何とか電車には間に合って17時には伊勢に帰ってきました。今回、計画もなしに飛び出していった割には、いろいろ収穫の多い旅でした。