どの縁戚関係でしょうね・・・今日もどうでもいい話

今日もどうでもいい話なんだけど、誰か似た趣味の人が読むかも、と思って・・・・。
オットー・フォン・ハプスグルク氏死去」で

私としてはまず、なぜ、オットー・フォン・ハプスブルク氏がベルギーの城にいたのか、を知りたいのですが・・・。今のところ手がかりはありません。ベルギー王家のサクス・コーブルク・ゴータ家との縁戚関係で頼ったのでしょうが、どの縁戚関係でしょうね。

と書いたのですが、その後Wikipediaを見ていて「たぶん、これだ」という記述を見つけました。オットーの母親の(つまりはオーストリア・ハンガリー帝国最後の皇后の)「ツィタ」の項目にあるこんな記述です。

ルクセンブルク大公マリー=アデライド、シャルロット姉妹、ベルギー王アルベール1世妃エリザベートとはともに母方の従姉妹同士に当たる。*1

行き場を失ったツィタ、オットーの母子は、おそらくツィタの主導で、ツィタの従姉妹にあたるベルギー王妃エリザベートを頼っていったんでしょう・・・・。って、ここまで書いて、やはり英語のWikipediaを見ておかねば、と思ってみたら、スラスラとは読めないのですが、もっと複雑な事情がありそうです。それにしても英語のWikipediaのオットーの項目にはオットーがベルギーの城にいた事情は書かれていないし、ツィタの項目には、息子達の勉学に適した地を求めてベルギーに移住した、としか書かれていません。私はベルギー王妃の尽力があったとにらんでいるんですが。



それはともかくとして、今日、書きたかったことは、ヨーロッパ王室の国際性、ということです。
どういうことかと言いますと、前述のオーストリア・ハンガリー帝国皇后ツィタのいとこがベルギー王妃エリザベートだったりする、ということです。日本の皇室が日本という一国だけで閉じているのと比べると、これは大きな違いのような気がします。
こういうヨーロッパ王室の家系をたどると、それが国々を結ぶ複雑なネットワークになっていることに気づきます。先ほどのツィタとエリザベートの関係を辿ってみましょう。ツィタはパルマ公国のロベルト1世の娘です。パルマ公国は現在でいうとイタリアの一部にあたるので、ツィタは(一応)イタリア人、ということになります。でもツィタの母親マリーア・アントーニアはポルトガル王女なのです。もうこれだけで、オーストリア、イタリア、ポルトガルの3カ国が登場しました。そしてこのマリーア・アントーニアの妹がマリア・ジョゼで、この人がドイツのバイエルン公カール・テオドールの妃になって、名前がドイツ語式にマリア・ヨーゼファと呼ばれるようになり、その娘、エリザベート・ガブリエーレがベルギー国王アルベール1世の妃になった、ということです。ここであらたにドイツとベルギーが登場しました。このように頻繁に国際結婚が行われるのは、もちろん、日本の戦国時代のように政略結婚という意味合いもあるのでしょうが、どうもヨーロッパには、国を越えて、この家系はどの程度の家格かという相場感(?)、みたいなものが共有されていたのではないか、と感じます。王室と言えば、国家の観念的中心であるはずなのですが、ヨーロッパでは、そこにおいてそれが国を越えている、というところが面白いと思います。こういうところではナショナリズムはどのような発現形態をとるのでしょうか? 私はそこのところに非常に興味があります。
そういえば第一次(第二次ではない)大戦中、ツィタはオーストリア国民からは陰で「イタリア女」(イタリアはオーストリアの交戦国でした)と呼ばれて嫌われていた、ということでした。

*1:2011年7月9日時点での記述