エジプトと聖書(4)

エジプトと聖書(3)」の続きです。
ギリシアヘロドトスが書き残したのは次のような話です。

  • ある時ヘパイストス*1の祭司でセトスという名前の者がエジプト王に即位した。この王は即位すると、エジプトの軍人階級を冷遇し始めたのだったが、その後サナカリポス王*2がアラビアおよびアッシリアの大軍を率いてエジプトに侵攻してきた。しかし、エジプトの軍人たちは王を助けることを拒否した。祭司でもあるセトス王は困惑し、神殿の内陣に入ると神像に向い、自分が蒙るべき悲運を歎き訴えた。その後、祭司は眠って夢を見たのだが、夢の中で神が彼の傍に現われ、敢然とアラビア軍に立ち向かえば、自分が援軍を送ってやるから安心せよ、と告げた。王はこの夢のお告げを信じて、自分に従う志のあるエジプト人たちを率いてエジプトの入口にあたるペルシオンに陣を構えた。陣を構えたその日の夜、野鼠の大群が敵陣を蔽うばかりに押し寄せ、敵の弓や盾の把手などを齧って壊してしまったので、それらの武器は使えなくなってしまった。翌日サナカリポス王の軍は武器がないので多数の戦死者を出しながら、あわてて逃げ帰った。


この話は聖書の列王紀下や歴代志下の話と異なり、場所はエルサレムではなくてエジプトのペルシオンですし、ユダ王国のことはまったく登場しないのですが、同じ歴史的事件を伝えているもののようです。「エジプトと聖書」で

ヘロドトス[ギリシャの歴史家、484-420頃]はかれなりにこの物語を語る。エジプト王は、当時、セトスの名前を持つ神プタハ[メンフィスの神で、宇宙の創造者、神々の支配者であり、早くから昔からの神タネン、ソカル、オシリスと結び付けられた。]の神官であった。かれはかれの軍隊に棄てられ、商人や平民たちを連れてペルスに去った。神プタは田畑に多くのねずみをまき散らした。その結果敵は逃亡し、大多数が非業の死をとげた。


「エジプトと聖書」の「第一部 王と場所」の「第三章 ダビデからエレミアへ」より

と述べているのは、この話のようです。


ところで、クセジュ文庫の「古代エジプト

に載っている年表で、その当時のファラオを調べてみるとセトスという名の王は見つかりません。紀元前701年前後のファラオ(=エジプト王)は、第25王朝(またの名をエチオピア朝)の

  • シャバカ(716〜701)
  • シャバタカ(701〜690)

です。このように、このあたりのエジプトの歴史は判然としません。しかも列王紀下一九・九には

この時アッスリアの王はエチオピヤの王テルハカについて「彼はあなたと戦うために出てきた」と人びとがいうのを聞いたので、再び使者をヒゼキヤにつかわして言った。

とあり、余計に混乱します。この時代、エジプトはエチオピア出身の王家に統治されていたので、この「エチオピヤの王テルハカ」はエジプト王である可能性も出てきます。そして王名表を見てみると「テルハカ」に似た名前として「タハルクア」というファラオが存在するのですが、彼の在位年数は紀元前690〜664年であり、紀元前701の上の事件より後の年代になっています。アッシリア王セナケリブを迎え撃ったエジプト王は誰なのか、あるいは彼は本当はエジプト王ではなかったのか、謎は残ります。

*1:ギリシア神話に登場する鍛冶屋の神。ヘロドトスは自分がギリシア人なのでギリシアの神の名前を当てはめているが、実際にはエジプトの神プタハを指すものと推定されている。

*2:アッシリア王セナケリブのこと