内乱について。トゥーキュディデース「戦史」第3巻より

雑感」に書いたように、私の持っているトゥーキュディデースの「戦史(中)」は古くて読もうとすると本のページが取れてしまうのですが、昨日、図書館で同じ本を借りてきて以前読めなかった第3巻を読みました。2400年以上前のこととは思えない現代に通じる以下の記述が印象に残りました。トゥーキュディデースの「戦史」は全ギリシア世界がアテーナイとスパルタの2つの陣営に分かれて30年近く戦った戦争を叙述しています。そして以下の記述ではギリシア各都市では両者に対応する党派によって内乱が広がっていった様子を記しています。戦争第5年目のことです。

平和でさえあれば、これらの外部勢力の干渉を仰ぐ理由も意志もない各派指導者も、戦時となってからは、いずれかの陣営との同盟関係が生じ、国内反対派の弾圧とそれによる自派の勢力増大を求めて政治的均衡を崩そうと望むものたちにとっては、外国勢力の導入が、簡単にはかれるようになった。
 内乱を契機として諸都市を襲った種々の災厄は数知れなかった。このとき生じたごとき実例は、人間の性情が変わらないかぎり、個々の事件の条件の違いに応じて多少の緩急の差や形態の差こそあれ、未来の歴史にもくりかえされるであろう。*1なぜなら、平和と繁栄のさなかにあれば、国家も個人もおのれの意に反するごとき強制のもとに置かれることがないために、よりよき判断をえらぶことができる。しかるに戦争は日々の円滑な暮しを足もとから奪いとり、強食弱肉を説く師となって、ほとんどの人間の感情をただ目前の安危という一点に釘づけにするからである。
 こうして次々と諸都市の政情が内乱と化していくと、後から乱に陥るものはさきの実例から何を学ぶのか、さきよりもはるかに過激な意図や計画を案出し、老獪きわまる攻撃手段や非常識もはなはだしい復讐手段をもって抗争するのであった。*2やがては、言葉すら本来それが意味するとされていた対象を改め、それをもちいる人の行動に即してべつの意味をもつこととなった。
 たとえば、無思慮な暴勇が、党を利する勇気と呼ばれるようになり、これにたいして、先を見通してためらうことは臆病者のかくれみの、と思われた。(中略)
 何ごとによらず、人の先を越して悪をなすものが賞められ、悪をなす意図すらないものをその道に走らせるのが、賞揚に値することとなった。そしてついには肉親のつながりも、党派のつながりに比すればものの数ではなくなった。党派のためとあれば、仲間は理由をとわず行動に走ったからである。(中略)諸都市における両派の領袖たちはそれぞれ、体裁のよい旗印をかかげ、民衆派の首領は政治平等を、寡頭派は穏健な良識優先を標榜し、言葉のうえでは国家公共の善につくすといいながら、公の益を私物化せんとし、反対派に勝つためにはあらゆる術策をもちいて抗争し、ついには極端な残虐行為すら辞せず、またこれをうけた側はさらに過激な復讐をやってのけた。かくのごとき争いにおちたものらは、正邪の判断や国家の利害得失をもって行動の規範とはせず、反対派をしたたかに傷つけるその場の快感が得られるまで争い、当座かぎりの勝利欲を貪婪にみたさんがためには、不正投票による判決であれ、実力行使の横暴であれ、権勢獲得の手段であれば、なんのためらいもなく実行に移した。したがって、いずれの派も何をなしても、心に恐れ、咎めを感ずるものはなく、たくみな口実を設けて、人としてなすべからざるをなしたものらが、かえって好評を得ることとなった。それのみか、中庸を守る市民らも難を免れえなかった。かれらは両極端のものたちから、不協力を咎められ、保身的態度をねたまれて、なしくずしに潰滅していった。
 このようにして内乱のたびにギリシア世界には、ありとあらゆる形の道徳的退廃がひろまった。


トゥーキュディデース「戦史」巻三・82〜83 より


残念ながらトゥーキュディデースの予想「このとき生じたごとき実例は、人間の性情が変わらないかぎり、個々の事件の条件の違いに応じて多少の緩急の差や形態の差こそあれ、未来の歴史にもくりかえされるであろう。」は当たっているように思います。ここのところWikipediaカンボジアの現代史を調べていたので、上記の記述には思い当たることが多く感じられました。

*1:強調は私

*2:強調は私