エソテリック・イセ


伊勢神宮は、まあまあ全国区だ。その名前を知っている人は日本人には多いだろう。そして伊勢神宮には内宮(ナイクウ)と外宮(ゲクウ)の2つの中心点があることも、まあまあ知られているだろう。それから、伊勢神宮は皇室の祖先神である天照大神アマテラスオオミカミ)を祭っていることも・・・。だから、正月に首相が参拝する慣例になっていることも知られているだろう・・・・・・・・



でも正確には、これは伊勢神宮内宮の神である。では外宮の神は何かと言えば、豊受大神(トヨウケのオオカミ)というあまり知られていない神だ。


知られていないのは当たり前で、この神の名前は日本書紀には登場しない。古事記には一箇所のみ登場するが、それは唐突な感を抱かせる登場の仕方であり、それゆえ、後世、たとえば鎌倉時代、の増補ではないかとの疑いを研究者に抱かせている。

しかし、伊勢での観光案内では

  • 「外宮はトヨウケのオオミカミをお祭りしております。トヨウケのオオミカミは日本の衣・食・住をお守りする神です。」

とさらっと流されて終わる。聞いていた人は、「ふーん、知らなかったけれど、そういう神様もいたんだねえ・・。」ぐらいで、納得させられてしまう。



しかし、このトヨウケのオオカミとは何なのか、そこを探求し始めると、伊勢神宮は別の相貌を帯び始める。そこから日本がその歴史の中で育んできたエソテリック(秘教的)なイセが浮かび上がる。鎌倉時代に外宮が朝廷に提出した古文書と言われる文書類、一般には神道五部書と呼ばれるそれらの文書には、トヨウケのオオカミは、実はアメのミナカヌシの別名である、と書かれているのだ。アメのミナカヌシとは、この世の最初に出現した神であり、もちろん、アマテラスよりも以前に存在した神である。そして不思議な事に、この神は古事記の冒頭に登場が記されたのち、舞台から消えてしまう。

あめつちのはじめの時、たかまの原に成りませる神のみ名は、アメのミナカヌシの神。次にタカミムスヒの神。次にカミムスヒの神。この三はしらの神は、みな、ひとり神に成りまして、身を隠したまひき。


古事記

実を言うと、このあとタカミムスヒの神とカミムスヒの神は古事記に登場してそれなりの活躍をするのだが、アメのミナカヌシの神については古事記は何も語らない。日本書紀もその登場以外には何も語らない。この、いわば神話の世界から遁走してしまった神、この神がアメのミナカヌシである。この神が外宮に祭られているというのが鎌倉時代の外宮の主張である。もし、これが事実ならば(神話について事実を云々するのはもちろんナンセンスだが、当時の人々の共通認識に受け入れられるかどうかという点を注目するならば)、アマテラスなどは、アメのミナカヌシが隠退している間に日本国の統治を委任された神にすぎなくなってしまう。そして、外宮の神は天皇制を越えてその権威を主張できるわけである。つまりそれは天皇制を相対化する視座を提供する。

鎌倉時代に成立した神道書「大和葛城宝山記」では、アメのミナカヌシについては「天界の上首」と説明し、アマテラスについては「地神六合の大宗」という説明があるという。「六合」とは国のこと。つまり、アメのミナカヌシは宇宙の主神であるが、アマテラスは単なる地上の君主(天皇)の祖先に過ぎない、との主張である。



私がこのようなことを知ったのは以前にも紹介した山本ひろ子氏のすばらしい著書「中世神話」

中世神話 (岩波新書)

中世神話 (岩波新書)

のおかげである。

神道五部書のひとつは、開闢神話を次のように説いている。

「大海」の中にとあるものが出現した。浮かんでいる姿は葦牙(あしかび)のようであった。そこから神人が化生し、「天御中主(アメのミナカヌシの)神」と名乗った。だからその地を「豊葦原(トヨアシハラの)中国(ナカツクニ)」と号し、この神を「豊受(トヨウケの)大神(オオカミ)」と言うのである。                 (「御鎮座伝記」)



「中世神話」より

ここからエソテリックなイセが見え始める。