線文字A(Linear A)(2)

(私は妄想する。)彼女は教えてくれた。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b8/Saffron_gatherersSantorini-3.jpg

  • ゴードン教授の主張するように線文字Aの言語がセム語派の1つだとすると、なぜこのような音節文字を使用したかが問題になります。一般にセム語派の言語を表現する文字体系は子音だけを表記する体系です。線文字Aのように開音節を表す文字体系ではありません。この点がゴードン説の弱点の1つです。
  • 線文字Aでku-roと書き表される単語は、それまでに粘土版に現れる数字を合計した数字とともに出現するので「全て」とか「合計」という意味であるとほぼ特定出来ます。これを、ゴードン教授はセム語のkull「全て」と同定しています。線文字Bでもlとrは区別して書かれていなかったので(ちょうどあなた方の日本語のように)、線文字Aのroのrはlに対応するとみることは可能でしょう。しかし、そのあとのoはどうなるのでしょうか? 線文字Bの場合、語末の子音は省略するという規則がありました。例えばクノッソスKnossosを表すのにko-no-soと書きます。線文字Bでは語末のs,n,rを書き表しません。しかしku-roをkullと読むにはこの規則に反しています。もちろん、線文字Bのつづり方がそのまま線文字Aにあてはまるとする理由はありませんが、それならばなぜkullを表すのにkuではなくku-roと書いたのか、その理由を明らかにする必要があります。
  • また、いくつかの単語、たとえば壺の絵と一緒に書かれていたsu-po、ka-ro-pa, su-pa-ra、は、その子音だけを取り上げてみれば、確かにセム語起源のように見えます。しかし、そのような語の数はそれほど多くありません。これらの語がこれらの壺の元々の産地であった地方のセム語からの借用語である可能性も否定出来ません。それに、ゴードン教授がセム語の単語と、線文字Aの単語を比較して同系の単語であると推定する際、セム語の単語のほうは子音しか文字に記されていないため、線文字Aの開音節で表された母音をゴードン教授は比較の対象としていません。この点も同定に説得力を欠く点です。さらにセム語として読めていない単語も多く残っています。もちろん線文字Bにしても未だに意味が不確かな単語は多くあるので、読めないからと言ってまったく間違いとは言い切れないのですが・・・・。
  • 問題は、線文字Aのテキストの絶対量が少ない、という点と、それぞれのテキストの長さが短いという点です。あなたは今まで発掘された線文字Aの文字の総数はどれだけだと思いますか? 最初の発見から一世紀以上経っているというのに、わずか7362文字から7396文字でしかありません。あなたには、この数は多いと見えるかもしれませんが、これは解読するのにはとても少ない数です。私たちの持つ言語資料がわずか1枚か2枚の紙に書き記せる量しかないのですから。その上、これらの多くが線文字Bと同じように物品のリストに過ぎない、と推測されている点も大きな障害です。つまり言語の多様な使われ方をそこから読み取ることが出来ないのです。これらが、線文字Aを解読する際に私たちが直面する大きな問題となります。
  • ギリシア語でないにしてもインド・ヨーロッパ語族の言語、たとえばヒッタイト語に近いルウィ語である可能性もあるでしょう。ルウィ語説に有利な材料としては、古代ギリシアにはギリシア語には由来しないと思われる地名が多くあり、それらの一部がssという接尾辞(男性形ならばssos、女性形ならばssa)を持っていることです。先ほどのクノッソスKnossosがそうですし、パスナッソスParnassosやラリッサLarissaという地名もそうです。ところがルウィ語の地名にも同じようにApassa、Hattarassa、Maddunassaというものがあるのです。これはギリシア語の話し手がギリシアに到達する以前に、ルウィ語の話し手がそこにいたことを示しているのかもしれません。
  • あるいは一部の研究者が提唱するティレニア語族である可能性もあります。ティレニア語族というはインド・ヨーロッパ語族が拡がる前に地中海沿岸で話されていた言語であり、エトルリア語、ラエティア語、レムノス語がこれに属する、としていますが、はたしてこれが語族として成立するのか私には判断できません。ただ、おもしろいことに、線文字Bを解読したマイケル・ヴェントリスも解読の直前まで線文字Bはエトルリア語に近い言語だと信じていました。彼自身が彼の推測を打ち破ったのですね。いずれにせよ、線文字Aに関しては現状ではどの説も決定的ではありません。