クレタ島では複数の言語が話されていたらしいという痕跡
いまだに線文字Aから興味が移りません。これに関する事柄として、時折、ホメーロスのオデュッセイアー
- 作者: ホメロス,松平千秋
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から引用される詩句が、クレタ島では複数の言語が話されていたらしいという痕跡として示されることがあります。昨晩は、その詩句がオデュッセイアーのどこに出てくるのか探していました。私が見つけたのは第19書の172行目からでした。
クレーテーという国があります、ぶどう酒色の大海のさ中にして
いつくしくもまた饒(ゆた)かに、潮をめぐらすうちに人々
数限りもなく多勢住まい、九十の都邑をかまえる、
それがいちいち言語が違い、たがいに混じりあったうちに、アカイア族も
あれば意気の旺んなエテオクレーテスもあり、またキュドーネス族や、
三部に別かれたドーリス族や、古参のペラスゴイ人らも住まって
いる間にもクノーソスは大きな城市(しろまち)とて・・・・・
オデュッセイアー 下 呉茂一訳 より
実は、この語りはオデュッセウスが得意の作り話を自分の妻にしている場面なので、そういうことを考えると真に受けるのもちょっと躊躇したくなります。なぜ作り話をしているのか、という話を説明しだすとオデュッセイアーのあらすじを説明することになって、とても書く時間が足りないので、やめます。ところで、上の引用に出てくるエテオクレーテスというのはどういう種族でしょうか? エテオというのは調べてみたところ「真の」とか「元々の」という意味のようです。私の持っているのは呉茂一訳の古いほうの訳のオデュッセイアー(新しいほうのは松平千秋訳)ですが、エテオクレーテスについては以下の註が載っていました。
クレーテー島本来の原住民(主要な)をさすらしく、この島には後から来た支配層アカイオイ(アカイア族)のほか、種々な人種が大体区域をわけて住んでいたらしい、ミーノース(文化全盛)時代の担当者がエテオクレーテス(真クレーテー族)であろう。
オデュッセイアー 下 呉茂一訳 より
この註に従えば、例の線文字Aを使っていた民族は、のちのギリシア人からエテオクレーテスと呼ばれていたようです。