「誰かがいつかミノア語の解読に成功するだろう。」 サイラス H. ゴードン(Cyrus H. Gordon)とミノア線文字A(4)

グレイ A. レンズバーク(Gray A. Rendsburg)著

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 しかしながら完全に誠実に言うならば、ミノア語がセム語であるという立場を支持する学者のほとんどはゴードン自身の学生(M. C. アストゥー、D. ネイルマン、G. A. レンズバーク、R. リチャード、J. M. サッソン、R. R. スティーグリッツ、E. 山内。部分的な書誌学についてはゴードン 1971: 168 n.32参照)であった。自分の師匠への忠誠が疑いもなくここで役割を演じたのであるが、同様に重要な要因はゴードンの規律によって受けた訓練である。ゴードンの古代世界に関する独創的な観点は、時間と場所の両方についての大きな刈り場に渡っての相互作用を認識する展望の良さとともに、クラスの彼の生徒に伝承された。よって彼らが自分の能力で学者になった時に、彼らはゴードンの方法を理解し彼の結論を受け入れる比類のない立場にいた。
 他の学者はけっして受け入れなかった*1。若干の研究者は線文字Aの解釈のために、通常インド・ヨーロッパ語族に、特にヒッタイト語と他のアナトリアの言語に目を向けて、少なくとも別の意見を提供した。しかし他の人々は、単にそうであるはずがないという理由でミノア人がセム人であったという考えをただ拒絶した。彼らの多くは、ホメロスと聖書の問題へのゴードンの寄与を拒絶したのと同じ人々であったので、クレタ島ギリシア以前の言語がセム語であったという考えを彼らが拒否したことはそれほど驚くべきことではなかった。しかしこの全ての中で肝要な点を覚えておくことは重要である。ゴードンの見解を拒絶する人々は大抵、古典学の分野の学者であって、セム語や他の近東の言語における何であれ訓練を受けていなかった。平均的な古典学者はギリシア語とラテン語を知っているが、いかなるセム語も他の近東の言語も知っていないというのが事実である。それに対して平均的なセム語学者はさまざまなセム語だけでなくギリシア語やたぶん、ラテン語ヒッタイト語、シュメール語、エジプト語などのような他の言語も知っている。よって、古典学者は通常ミノア語がセム語であるという意見を拒否する人々であるが、彼らは問題を判断する立場にさえいなかった。


 ジョージ・バスが語る以下の物語は実例になるものである。

この敵意は深い。我々は学者として礼儀正しすぎるので私はこれについて語ろう。私は非常に怒っている。20年前私は非常によく知られた古典学の考古学者、世界中で最良の学者の一人、の隣に座った。彼のギリシア語とドイツ語と他の言語の知識は痛ましいものであった。彼はよい考古学者であったが、彼は英語以外の言語をほとんど読めなかった。彼はサイラス・ゴードンによる講義に参加して私の隣に座っていたが、その初めから終わりまで冷笑していた。もちろん彼はそれを理解していなかった。しかし彼は冷笑するように教えられていた。それが20年前私を怒らせた。それが今も私を怒らせる(バス 1989:112)。

この点を示す別の物語を私は続けよう。最近、線文字Aの全体的な質問についてコンピュータ・ネットワークの1つの上でやりとりがあった。そのやりとりの参加者の中にエーゲ海の考古学と碑文解読の一流の学者がいた。彼は他の人々によってこの主題についての偉大な権威者と呼ばれていただけでなく、彼は明らかに自分をそのようなものとしてよく示していた。彼への私的なeメールで私は彼に、彼がこの問題を客観的に判断するためにヘブライ語や他のセム語を知っているかどうか尋ねた。彼は私に知らないと答えた。

*1:このあとに続く個所でゴードンの意見に反対する個々の学者の名前を述べることを私はしない。