「誰かがいつかミノア語の解読に成功するだろう。」 サイラス H. ゴードン(Cyrus H. Gordon)とミノア線文字A(5)

グレイ A. レンズバーク(Gray A. Rendsburg)著

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 公平に言えば、セム語を知っている若干の学者、そこにはこの分野での一流の研究者も含まれているのだが、彼らもゴードンの意見に反対していることに言及するのは重要である。彼らの反対は、ゴードンの線文字Aに関する仕事の中で、ミノア語のいくつかの要素はカナーン語(ウガリット語、フェニキア語、ヘブライ語、など)に、いくつかはアラム語に、いくつかはアッカド語に、というふうに結び付けている。よって、ミノア語はいかなるセム語と同じとも特定出来ず、よってゴードンの解釈は失敗であると見なされる、というものであった。このやり方の狭量さは容易に見てとれる。この意見は事実を捻じ曲げているわけではなかった。ミノア語は、自分をさまざまなセム語と結び付ける等語線を示しているということは完全に正しかった(ゴードン自身が最初に西セム語に注目し、次にアッカド語に移り、次に西セム語に戻ったことについての私の前の記述を参照)。しかし、真実は、いかなるセム語といえども、自分を他の全てのセム語と結び付ける、さまざまな方向へ進む等語線を持っている、というものである。


 エブラ語に関して学者たちがとった方法を比較するのは役に立つ。1970年代にこのセム語が最初に明るみに出た時、エブラ語の若干の特徴はアッカド語との近さを示したことは最初から明らかであったが、一方で同時にその言語の別の特徴が西セム語と密接な関係を示していた。学者はセム語内におけるエブラ語の位置について論争した――そして論争し続けている――が、エブラ語はこの語族の下位区分に関して前から存在する我々の観念にきちんとあてはまらないからといって誰もエブラ語がセム語であることを否定しない。前述のミノア語の議論の弱点をエブラ語が示すという発見を、人はほとんど必要としなかったが、今や我々の目の前にはエブラ語があるからには、この明暗ははっきりしている。
確かに、私の同僚のデイヴィッド・I.・オウエンは、人々がミノア語問題を見る仕方にエブラ語の発見が影響を与えるだろうことを即座に見てとった。1976年12月12日の日付のゴードンへの手紙で、オウエンは書いている。

エブラ語は、線文字Aにおいて我々をしばしば困惑させるようなそれら多くのセム語内特徴を持っています。規則的なr/lの交替があります! エジプト語を見るまでもありません。そこには母音体系において東セム語と西セム語の両方の特徴があります。実際にセム語学者によるあなたの解読への批判の多くは、エブラ語文献の観点においてもはや完璧ではないでしょう(ゴードン 1980:209 n. 20)。

ゴードンのミノア語に関する業績への最大の称賛はむしろ奇妙な形でやってきていた。1972年にジャン・ベストはゴードンをミノア語のセム語としての同定の「最初の、そして最も熱烈な提唱者」と呼んでゴードンのミノア語の解読を自分が受け入れたことについて書いた(ベスト 1972:13)。しかしその後の数年間ベストは、ゴードンの先行する業績に少しも言及することなく、自分自身をミノア語とセム語として解読した人物として提示するような一連の論文を制作した(ベスト 1982)。このような学問的詐欺は強い叱責を必要とし、私は喜んでベストの研究論文についての詳細な総説に応じた(レンズバーク 1982)。ゴードンはより短い記事を書いた(ゴードン 1984)。ここに私は私が書いたことの一部を繰り返そう。

提示された資料は実質的にゴードンによって公刊されたものと同じであり、それにもかかわらずゴードンのミノア語の研究は引用されていない...[ベストは]ゴードンによって20年以上前に公刊された資料を謝辞なしに繰り返している...我々の古典的な、そして聖書的な、近東の伝統のよりよい理解を現代世界にもたらした学者の共同体の中で、明らかにベストの行為はまったく許容できない(レンズバーク 1982:79, 86, 87)。

私のベストへの非難は絶対に必要なものであり、私は自分が率先してペンを取ったことに喜んでいる。ベストの詐欺は非難される必要があったが、彼のゴードンの業績の横領は、奇妙でもちろん最もプロにふさわしくない仕方であったが、最高のタイプの称賛を表していた。