エジプトのフィラエ神殿

今日も昨日に続いて世迷言を・・・・・

エジプトのナイル川の上流、フィラエ島にあるイシス神殿にあるナイルの神ハピの図像

についてリュシ・ラミの「エジプトの神秘」

では、こう書かれている。

その近くのフィラエ島の増水測定用水位標(ナイロメーター)のそばに建っている神殿[イシス神殿]の浅浮彫りは、ナイルの水源をシンボリックに描いている。蛇の身体が岩に穿った洞窟の輪郭となっており、その中でナイルを擬人化したハピが両手にもった水瓶から水を注いでいるのだ。黄道12宮の宝瓶宮[と和訳されているが、本来は「水運び人」]がやはり水瓶によって象徴されていること、さらには占星術において宝瓶宮の影響を受けるとされている身体の部分、すなわちふくらはぎがこの地方の聖遺物として祀られているのは、驚くべき一致と言わねばなるまい。


ここでリュシ・ラミは上の浮彫りを、みずがめ座と関連付けている。そして、西洋の秘教の伝統ではタロットカードの「星」は、みずがめ座と結び付けられている。だから、私が上の図とタロットカードの「星」を結びつけたのは、それほど独創的ではない。これについては「タロットカードの17番、星」で書きました。



今日は、そちらに進むのではなくてこのフィラエ神殿について調べてみます。
フィラエのイシス神殿と言えば、こんな外観
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/44/ArriveeAuTempleDePhilae.jpg

上記のナイル川の神ハピとは関係のない記述だが、文庫クセジュの「エジプトの神々」

にもフィラエのイシス神殿が登場する。

オシリスがこの系譜のなかへ、いつ入りこんできたのかわからない。しかし、オシリスは、イシスが君臨していた小島フィラエの真西、ビゲーすなわちギリシアアバドンに墓を一つもっていた。どんな外来者もそこに立ち入ることができなかったし、神の休息を守るための無数の禁令が定められていた。十日間イシスは行列をつくって、その墓へ授乳にでかけた。フィラエにはイシスがオシリスと、さらにエジプト語で「子供のホルス」を意味するハルポクラテといっしょに祭られていた。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b0/Colonnades_Philae2.JPG
ものものしい柱廊



ここまで書いてきて、本当に私が書きたいのは、ここよりもさらに上流、ナイルの水源(本当の水源ではなく、古代エジプト人たちが考えていた水源)のことだと、思い当たりました。しかし、それをどのようにして書くのか。