コンピュータ創世記(2)

最初のデジタルコンピュータを開発したアタナソフは、アイオワ州立大学の物理学の教授だった。アタナソフの若いころの経歴はWikipediaによると以下のようである。

1925年にフロリダ大学を優秀な成績で卒業し、電気工学の学士号を得た。その後、アイオワ州立大学に進学し、1926年に数学の修士号を取得した。1930年、ウィスコンシン大学マディソン校で理論物理学の博士号を取得した。学位論文のテーマは The Dielectric Constant of Helium(ヘリウムの誘電率)。卒業後はアイオワ州立大学で数学と物理学の助教授の職を得た。


ジョン・アタナソフ――Wikipedia. 2014.5.19時点」より


チューリングが例の革命的な論文「計算可能な数、ならびに決定問題への応用」を提出したのと同じ年(1936年)にアタナソフはアナログコンピュータを開発していた。この年、アタナソフは33歳で、チューリング(この時24歳)やシャノン(この時20歳)に比べれば年長であるが、やはり若い。このようにコンピュータの誕生には若い才能が多く寄与している。彼はこの時アイオワ州立大学の助教授か教授であって仕事柄、科学用の計算をする機会が多いのだが、その当時の機械式計算機が非常に使いづらいために、もっと優れた計算機が欲しいと考えていた。それでこのアナログコンピュータを開発した。アナログコンピュータというのは物理現象を利用して、解きたい問題に相似した(analogousアナロガスな)物理現象を起こして、その結果を測定することで計算結果を得ようとするものである。例えば電気のオームの法則を使えば、電流=電圧/抵抗なので、電圧と抵抗をある値にセットして、電流を測定すれば、割り算の結果をえる、というようなものである。しかし、アナログコンピュータでは、物理的な量を設定する際に誤差が紛れ込むのを避けることは出来ないし、一方、結果を測定するのにも誤差は避けられない。このために精度のよい結果を得るのには限界のある方式だった。このため、アタナソフは次の年には、デジタル方式のコンピュータを構想する。おそらくデジタルのコンピュータという構想そのものがこの時代では独創的なものであっただろう。このコンピュータを作成する資金の当てが出来るまでに2年がかかった。1939年に資金を得ると同時に、自分が指導していた大学院生のクリフォード・ベリーの協力も得ることが出来た。同じ年のうちに試作機が完成した。このコンピュータは、アタナソフとベリーの名前をとって「アタナソフ&ベリー・コンピュータ」略してABCと呼ばれた。この年、ヨーロッパではドイツとソ連ポーランドを分割し、戦乱が始まっていた。


ABCはアイオワ州立大学物理学部の建物の地階で組み立てられ、重量は320kg以上あり、机ほどの大きさだったそうだ。

ABCは連立一次方程式を解くように設計されていた。当時としては画期的な最大29元の連立方程式を解くことができるマシンだった。この規模の問題はアタナソフの所属していた物理学部では一般的になりつつあった。


アタナソフ&ベリー・コンピュータ――Wikipedia. 2014.5.19時点」より

上の文章にあるようにABCは汎用コンピュータではなく、連立方程式を解くための専用コンピュータだった。しかし、デジタルで二進法を用い、電子回路によって計算するという意味で、現代のコンピュータの祖先にあたるものだった。


私が興味を持つのは、アタナソフのこの着想に1937年のシャノンの論文「リレー回路とスイッチング回路の記号的解析」が影響を与えているかどうか、ということだ。今まで調べた限りでは直接の影響はないらしい。ABCにはシャノンの考えが採用されていることは容易に想像できるが、歴史において理論と実践の間の関係はそれほど直線的なものではなさそうだ。アタナソフは独自にシャノンと同じ結論に達したのだろう。こうして、チューリングとかシャノンという理論家とは別系統からコンピュータは生まれた。それが発展していって現代のコンピュータにより近くなっていく過程も理論家とは別の系統で進行していった。


次に登場するのは、ジョン・モークリーENIACの開発者である。彼は元々はアーシナス大学の物理学教授で、気象学を研究していた。そしてアタナソフと同じように、自分の研究の途中で、膨大な計算をする必要性に遭遇した。気象学の研究には膨大な統計データを計算する必要があった。1940年に、ペンシルバニア大学で「科学の発展のためのアメリカ協会」(American Association for the Advancement of science)の大会が開催された時、モークリーは気象統計に関する論文を物理学部門に提出した。このときモークリーの論文に興味をもったのがアタナソフだった。こうして2人の出会いが始まる。この時モークリーは33歳。


アタナソフについては「ジョン・アタナソフ――ちえの和webページ コンピュータ偉人伝」が興味深い記事を載せています。