コンピュータ創世記(6)

フォン・ノイマンマンハッタン計画の遂行のために高速計算機を必要としていた。その上、ウィーナーから示唆を受けた神経生理学と電子工学の融合の可能性にも心をひかれていた。不思議なことに彼は、同じくアメリカ陸軍が推進していたENIACのプロジェクトをしばらく知らずにいた。
さて、ENIACのプロジェクトで陸軍の一部局であるアバディーン弾道研究所に所属していてENIACプロジェクトとの連絡係になっていたのがハーマン・ゴールドスタイン中尉だった。彼はすでに数学の博士号を取得し、その後の一時期プリンストンで助手をしていたことがあるので、数学的素養は充分にあった。彼はアメリカ陸軍における数値計算工数が戦略上のボトルネックになっていることをよく認識していた。このゴールドスタインが偶然フォン・ノイマンに出会った。

ENIACのプロジェクトはすでに始まっていた。このスポンサーは陸軍の弾道研究所で、ハーマン・ゴールドスタインが研究所とENIACチームとの調整役となり、アバディーンフィラデルフィアの間を頻繁に行き来していた。ゴールドスタインは駅でフォン・ノイマンを見かけ、挨拶をした。これは1944年8月のこと(ENIACは完成間近)。

「それまで僕はあの大数学者には一面識もなかったんだ」とゴールドスタインは言う。「だがもちろん彼のことはいろいろ聞かされていたし、その講義にも何度か出たことがある。何しろ相手は名だたる大学者だ。だから思いきってそばに行き、自己紹介をして話ははじめたものの、まったくおっかなびっくりだったよ。ところがありがたいことにフォン・ノイマンは気さくなあったかい人柄で、こっちの気を楽にさせようとしきりに気を配ってくれた。そしてあれこれ話しているうち、まもなく話題は、僕の仕事のことになったんだ。この僕が一秒間に333回ものかけ算をやれるような電子計算機の開発に肩入れしているときくやいなや、今までの気楽な世間話のふんいきはガラリと一変して、まるで学位論文の口頭試問みたいになってしまったよ。」


von Neumann and IAS computer

ここからフォン・ノイマンENIACプロジェクトへの侵入が始まる。フォン・ノイマンはゴールドスタインの許可を得て1944年の9月にENIACの開発現場を訪れ、ENIACの秘密情報へのアクセスが許されることになった。フォン・ノイマンはすでにマンハッタン計画応用数学者としての確固たる立場を確立した人物である。一旦、やってきたなら、よほどの理由がない限り、追い出すことは難しい。モークリーとエッカートは、ノイマンがたちまちENIACプロジェクトの核心を理解したことに感銘を受け、彼をこのプロジェクトに受け入れた。ただし、今までENIACプロジェクトを推進してきたメンバーとフォン・ノイマンとの間にはこのあと長期にわたるわだかまりが解消されずにいたようだった。それはたぶん、理論家と実務家の対立といったものだろう。
ENIACは開発を計画通り進めるために、1943年時点でその設計を凍結していた。そのため、その後の開発で明らかになった改善点をENIACに反映することが出来なかった。1944年、フォン・ノイマンが乗り込んでくる前に、エッカート、モークリーそれに他のムーア・スクールの技術者は、ENIACの設計改善のための公開討論を行っっていた。ここではさまざまな討論がなされたが、手作業によるENIACのプログラムの配線作業は、大きな負担であることが誰にとっても明らかなものとして注目された。これを解決する方策としてその後、プログラムをメモリ内に内蔵する方式が考えられたのであるが、これはすでに仕様を確定してしまったENIACには採用出来なかった。
問題はこの経緯にある。つまりその問題とは、フォン・ノイマンがプロジェクトに関わる以前にメモリ内蔵プログラムの方式をこの開発チームが考え出していたかどうかである。それについては私は決定的な記述を見つけられずにいる。この後、モークリーとエッカートはフォン・ノイマンと「プログラム内蔵方式」について先取権を争うことになる。
この点については余談であるが、ウィーナーも自分が最初にそれを考えたのだと主張したかったようである。ウィーナーの自著「サイバネティックス」のあいまいな記述を信用すれば1940年に、かつてMITの同僚であって、当時はアメリカ国防研究委員会(NDRC)の議長として政府に影響力を持っていたヴァネヴァー・ブッシュに対して

演算の全過程を計算機の内部に置いて、データが計算機にはいり、計算の最終結果がとりだされるまでのあいだ、人が介入しなくてもよいようにすること。またそのために必要な論理的判断は、計算機が自ら行うこと


ノーバート・ウィーナー「サイバネティックス」より

ウィーナー サイバネティックス――動物と機械における制御と通信 (岩波文庫)

ウィーナー サイバネティックス――動物と機械における制御と通信 (岩波文庫)

というメモ(それ以外にも「二進法を採用すること」など、未来の計算機に対する提言がいくつかあるが)を送ったと彼は主張している。これも「プログラム内蔵方式」を主張したものと読めなくもない。ただしウィーナーは自分の先取権を主張せず

これらの考えは、その当時多くの人々が抱いていた思想のうちにあったのであって、私一人だけでそういうことを考えついたとは、すこしも主張するつもりはない。これらの考え方が有用であることが後からわかったのであるが、私の覚書きがそういう考え方を技術者間にひろめるのに、何らかの役に立ったのならばそれでよかったと私は思っている。


ノーバート・ウィーナー「サイバネティックス」より

と記している。この記述は読んでいて和やかな気持ちにさせるものであるが、それでも「これは本心なのか?」と思ってしまう記述でもある。